柴山文科大臣のイヤーマフ姿に心底,腹がたつ理由

柴山文部科学大臣がスピーキングテストのイヤーマフをつけてGTECの宣伝をすること。文部科学省が民間試験団体の言いなり情報を検証もせず公式HPに載せ,GTECと英検の広報ページにリンクを張ること。それらに,どうして私がこれほど腹が立つかを率直に書いておきたい。

ほぼ1週間しかなかった国会請願の署名募集期間の終了間際 6/14(金)に,私は所属大学の学長に呼び出され,署名の宛先住所を大学の研究室にしたことについて,口頭で注意を受けた。「公私混同」とみなされる恐れがあるとのことだった。

学長室には,学長に加え,入試担当の副学長,文科省派遣の事務局長,入試課長などが勢ぞろいしていた。その時,私は出席者に次のように事情説明をした。

(以下,羽藤の説明)私は,twitterでの発信,マスコミへの情報提供等を含め,共通テストへの民間試験導入に反対するすべての活動を教育・研究活動の延長と考えている。今回の国会請願についても,個人活動あるいは政治活動とは考えていない。しかし,それは私の個人的な認識であり,一般的には少なくともグレーゾーンにあたるであろうことは当初から意識していた。しかし,当該国会の請願受付締切 6/19(水)が迫っており,準備期間が数日(実質4日間)しかないなかで,研究室を署名の受取住所にしなければ,この活動は成立しなかった。

人が川に溺れて死にかけているときは超法規。日本の教育が溺れて死にかけていると判断して川に飛び込んだ。その時から覚悟はしているので,大学として処分が必要と判断されるなら,処分してほしい。私は社畜タイプの古い人間で帰属意識が強い。所属大学に迷惑をかけるくらいなら辞めた方がいい。今はまだ迷惑をかけていると私自身は感じていないが,大学がそう判断するなら辞めても構わない。

どうせ定年退職まで,あと3年足らず。惜しいものはない。30年以上,英語教育の研究と実践に情熱を注いできて,最後に日本の英語教育がこんな状態になったことを見ながらキャリアを終えるなら,私の30年は無駄だったのと同じだ。処分も受ける,辞めてもいい。だから,署名を6/17(月)まで受け取らせてほしい。

今回の文科省のやり方では,公正・公平な入学者選抜ができない。その証拠の多くは,これまでスピーキングテストを開発・運営してきたこの大学の中にある。英語教育についても,財界や文科省が求める英語教育改革は地に足がついていない。9人の専任英語教員の協力でぎりぎりまで頑張ってどこまでの成果が出せるか(どこまでの成果しか出せないか),そのデータがこの大学の中にある。説明するので,文科大臣でも財務省でも経産省でも呼んできてほしい。(羽藤の説明終わり)

学長は私の開き直りに困られたようだったが,具体的な処分の話にはならず,学長として言わなければならないことは言い渡しておくという感じで色々な警告をされた。私は抗弁もしたが,結局は,思慮が足りなかったことを詫び,以後気をつけると約束して学長室を出た。

その後,学長の命により,請願署名のウェブサイトから私の肩書き以外の所属大学に関わる表記(住所等)をすべて削除した。実質的に困ることはなかったが,私にとっては屈辱的な作業で,涙が出た。それでも,請願署名をギリギリになって中断しなくてよかったことについて,学長はじめ,その席にいらした大学幹部に感謝している。

届いた署名につけられたコメントからも,私と同じような思いをもたれ,同じような経験をされた教育関係者が少なくないことがわかった。

「私自身は学内で難しい立場に追い込まれたため署名も控えねばなりませんが,親族に書いてもらいましので,少数ですがお送りします。」「大学内で闘いましたが,無念です。まとめましたので送ります。」「私は対象となる民間試験団体に勤めており,署名用紙に名前を出せません。でも,この改革は絶対してはいけないと思うので家族の分を送ります。」

こうやって,末端の教育関係者は自分の考えを表に出すことに有形無形の圧力を受けながら,この国の教育のことを真剣に考え,力を尽くしている。個人の損得勘定は度外視だ。

翻って,文部科学大臣はどうですか? 新入試制度について国民からあがる疑念・懸念の声は完全に無視。それどころか,意図的な論点ずらしのツイートで,反対派を「守旧派」呼ばわり。イヤーマフをつけて民間試験の広告塔を務める姿は誰に向けてのものですか?

文部科学省は,もう何年も前から,官と民の癒着を隠すことさえしない。その延長で,今回の英語入試制度が作られた。

8,000を超える請願署名参加者を含む国民が求めているのは,柴山文科大臣の真摯で具体的な説明です。

末端で真面目にやっている国民を馬鹿にするな!

https://togetter.com/li/1369445

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岩波ブックレット「検証 迷走する英語入試 —スピーキング導入と民間委託 —」

ブックレット表紙画像2018年6月5日,岩波ブックレット「検証 迷走する英語入試 —スピーキング導入と民間委託—」が出版されます。編者の南風原朝和先生(東京大学高大接続研究開発センター長,大学院教育学研究科教授)に加えて,宮本久也先生(東京都立八王子東高等学校長,前全国高等学校長協会会長),阿部公彦先生(東京大学文学部教授),荒井克弘先生(東北大学名誉教授,元大学入試センター副所長)が,今回の英語入試改革の欠陥をそれぞれの視点から指摘されます。私も寄稿させていただきました。以下は,担当させていただいた第3章の書き出し(「はじめに」)のつもりでしたが,スペースが足りず,最終稿では削除した部分です。受験生やその予備軍,また支える保護者や教員に知らされるべき改革の実情に焦点を絞りました。方向転換のきっかけとなりますように。


2020年度からセンター試験に代わり「大学入学共通テスト」が実施される。国立大学協会は最初の4年間,国立大学の一般入試の受験者全員に,大学入試センターが作る英語の試験に加えて,民間の英語試験を課すことを決めた。文部科学省は,2024年度から前者を廃止し,後者に全面移行する方針である。
その背景について,かつては文部科学省の官僚であり現在は同協会の常務理事を務める木谷雅人氏が,ベネッセ(利用される民間試験の一つであるGTECを運営する企業)[1]の情報サイトで,以下のように述べている[2]。「入試における認定試験の活用について十分な実績,経験のデータがない中,検証してデータをそろえていくうえでもまずは両方を課す必要があるという判断になった。」
検証が必要な試験なら受験料をとるべきではないし,入試に用いるべきではない。しかし,これが今回の英語入試改革の現実である。ずさんな手続きの末にできあがった制度は欠陥ばかりが目につき,入試制度の破綻につながることさえ危惧される。
ところが,実際に何が起こっているかは案外,知られていない。2017年12月~2018年1月に,朝日新聞とベネッセ教育総合研究所が,公立小・中学校の保護者を対象に行った調査では,センター試験が共通テストに変わることついて,「知っているが変更内容は知らない」人が44.4%,「変更されることを知らない」人が33.3%であった[3]
わかりにくいのは確かである。対象が英語であるうえ,CEFR(セファール)などという聞きなれない用語が使われる。テストというものへの漠然とした恐れや信頼もある。しかし,実情を知れば,新制度を商機と見る業界関係者以外,賛同する人はいないだろう。
本章では,異なる民間試験の成績を比べるために文科省が作った「各資格・検定試験とCEFRとの対照表」と,入試に利用する民間試験の選定に焦点を当てて,問題の核心を掘り下げる。

[1] 株式会社ベネッセコーポレーション
[2] http://between.shinken-ad.co.jp/hu/2018/04/kokudaikyo.html
[3] https://berd.benesse.jp/up_images/textarea/Hogosya_2018_06.pdf

研究費(税金)を有効に使うためにも

2017年4月22日に日本言語テスト学会が発表した「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)における英語テストの扱いに対する提言」は,今回の英語大学入試改革の問題点を的確かつ網羅的に指摘するものであり,テストに関する知識の蓄積に裏づけられています。

クリックしてJLTA_proposal2017_Jan_4.pdfにアクセス

しかし,学会の英知はほとんど活かされることなく今日に至っています。

学会幹部の肩書きが学会員の承認なく文科省の委員会名簿(筆者の抗議のためか削除済)やテスト業者の宣伝に使われている学会もある中で,日本言語テスト学会の毅然とした姿勢には頭が下がります。しかし,学会として文科省や国大協に公開質問状を出す,会員が所属大学に働きかける,わかりやすい言葉で受験生や保護者に訴えかけるなど,もう一歩踏み込んで動いてくださると,提言が真の影響力を持つと思います。

また,文科省も(教員や研究者のいないところで決めた)既定路線を推し進めるために,(要所要所では批判的なコメントもしている)推進派の研究者を利用するたけでなく,慎重論を唱える研究者の意見も聞いておれば,今回のようなことにはならず,より良い解決策が見つかっていたかもしれません。

国立大学協会も同じです。私は昨年11月の総会の直前に山極会長に,「専門の学会や研究者の知識・経験を結集して,国大協自らがwell-informed decision を」ということを直訴する手紙を送りました。しかし,投函した翌朝には,国大協の事務局から「教員個人からの問い合わせには応じられない」との連絡がありました。返事をくださっただけで誠実とも言えますが,山極先生に勝手な期待を寄せていただけに残念でした。

もちろん,所属大学の学長にも働きかけました。結果としてはガス抜きになってしまったかもしれませんが,学長は総会の席で同じ趣旨の発言をしてくださりました。学長には本年1月末の国大協総会の前にも同じことをお願いしましたが,「新共通テストを使わないという覚悟がなければ,地方の小さな大学がここまで来たものに反対はできない」とおっしゃりました。その総会で,東大の五神総長が「拙速な案を国大協から出すべきではない」と釘を刺さされた際に,他の学長から「ちゃぶ台返し」との声が上がったという新聞報道を読み,納得しました。

税金(運営費交付金,科研費等)を財源とする研究費が国民のために有効に使われているかが議論されています。今回の大学入試改革こそ,研究者や学会が蓄積してきた知識・情報を直接的に国民のために活かすチャンスです。国(文科省),国大協,各大学と,学会や研究者が協働してbetter-informed decisionをしなければならないと思います。Nothing is too late!

何のための「要請」?

※2017.6.7付,国大協による意見書「『高大接続改革の進捗状況について』に対する意見」(http://www.janu.jp/news/files/20170614-wnew-teigen.pdf)より

各大学の入学者選抜において、認定試験の結果を具体的にどのように活用する かを検討するためには、次の点について、早急に更なる詳細が示されることを求める
○ 認定の基準及びその方法
○ 学習指導要領との整合性
○ 受験機会の公平性担保、受験生の経済的負担軽減等の具体的方法
○ 異なる認定試験の結果を公平に評価するための対照の方法

※2017.11.10付,「認定試験を一般選抜 の全受験生に課す」と決めた国大協総会後に発表された会長談話(http://www.janu.jp/news/files/20171110-wnew-nyushi2.pdf)より

残念ながら6月に指摘した諸課題については未だ十分な詳細が示されているとは言えない。

しかしながら、改革の実施までに残された期間は短く、各大学及び受験生の準備や心構えを考慮すると、基本方針については早急に示す必要があることから、このたび策定・公表したものである。

文部科学省においては、上述の国立大学協会が指摘した諸課題について早急に検討を行い、可及的速やかに詳細を明らかにするよう要請するものである。

なお、国立大学協会としては、その内容を精査した上で、英語の認定試験及び 記述式試験の具体的な活用方法について、本年度中を目途に、国立大学共通のガイドラインを作成することを予定している。

※2018.2.19付,国大協入試委員長コメント「英語民間試験の活用に関する国立大学協会の検討状況についての一部報道について」(http://www.janu.jp/news/20180219-wnew-comment.pdf)より

本年度中を目途に「英語認定試験及び大学入学共通テストの記述式問題の活用に関するガイドライン」を作成すべく検討していることは事実である。

当協会としては、先に述べた「ガイドライン」が所要の審議を経て決定された 後、速やかに公表し当協会の考え方を説明したいと考えている。

[いずれも強調は筆者]
——–

国大協は,文科省が明らかにすべき「詳細」の内容を精査した上でガイドラインを作成するのではなかったのか。昨年6月の時点で挙げられた問題は解決するどころか,深刻さがより明確になってきている。しかし,文科省は国大協の要請に応えていない。応えてもいないのに,「ガイドラインを作成すべく検討している」のはなぜなのか。その理由こそ,国大協入試委員長が説明すべきである。対応に期待しないなら,何のための「要請」なのかを教えていただきたい。

国大協は,ガイドラインの作成には「認定の基準及びその方法、学習指導要領との整合性、受験機会の公平性担保、受験生の経済的負担軽減等の具体的方法、異なる認定試験の結果を公平に評価するための対照の方法」についての詳細な情報が必要であることを認識している。また,その条件が整っていないこともわかっている。ならば,ガイドラインを作成し,公表するなどということはありえないはずだ。

大学という最もwell-informedであるべき組織を束ねる団体として,受験生や国民に恥ずかしくない判断をしていただきたい。

誰の得にもならない大学入試改革

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東京大学高大接続研究開発センター主催シンポジウム「大学入学者選抜における英語試験のあり方をめぐって」の講演資料が公開された。

http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/adm/koudai/sympo2018.02.10.html

この講演において,私は大規模標準化テストの開発・運営の実情を少しだけ知る者として,「日本の大学入試」と「複数の民間試験利用」とはきわめて相性が悪いことを例証した。そのしわ寄せ(公正性・公平性の弛み)は水面下で受験者や保護者,教員に押しつけられるか,表面化して国,大学,テスト業者がそれぞれに大打撃を被るかのどちらかだろう。

テスト業者を責めるつもりは毛頭ない。上記シンポジウムの討論において,文科省高等教育局大学振興課大学入試室長の山田泰造氏は,制度の危うさを指摘する声に答えて,「問題のあったテスト業者は大学入試英語成績提供システムから外す」と明言した。

今,テスト業者は,正確な受験者数を読めないままで,大きな投資を迫られている。その一方で,受験料を抑えること(外から分からないように,テストの性能や採点の質を下げること)も求められている。そして,ひとたび問題が起これば,文科省に切り捨てられるのだ。

受験者は,50万人 X 2回の100万人ではない。成績提供システムに登録できるのが2回というだけで,経済的余裕のある者は何度でも受験できる。また,誰でも受けられるテストが大学入試に使われるのだから,低年齢層からの受験者も増大するだろう。

大学入試に使われるテストがこれだけの規模で行われるようになれば,作問する人,採点する人,試験運用にかかわる人(つまり,使い回しされる問題や採点基準等を知っている人)が,世の中にあふれることになる。今でも,英検等の面接者が其処此処にいることは暗黙の了解だが,数が増えれば増えるほど,人の採用や管理は難しくなる。

誓約書の効力には限界があり,不正や問題漏洩は末端で起きる。英国におけるTOEFLの不正もETSの下請けで起こった。テスト業者には,公正・公平の極みとも言える日本の大学入試制度に組み込まれて本当に大丈夫かを,テストの開発・運営の実態に照らして慎重に考えていただきたい。

制度維持のための透明性担保は国の仕事である。しかし,文科省は大学に圧力をかけて先行事例を増やすことの方に熱心だ。賢いテスト業者なら,「能力診断テスト」のままでいた方が安全と判断するところだろう。

大学入試英語成績提供システムに参加しなければ淘汰される。参加しても淘汰される。今回の大学入試改革は,テスト業者にとっても八方塞がりだ。

新たな制度をつくる際に果たすべき責任など,眼中になくなっているのだろう。それでも,国,大学,テスト業者,それぞれのプレーヤーがまともに保身を考えれば,こんなことにはならないはずだ。愚策で受験生,保護者,教員を振り回すのはやめていただきたい。

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公共事業の難しさ

年末に,普天間と辺野古に行ってきた。関心を持ち続けていたいという思いからだが,公共事業の難しさは今回の入試改革にも通じるものがあると感じた。特に時間のかかる事業は,自らが結果責任を負わないので,政治家(鳩山さんも含む)も役人も任期中の手柄や自己実現・承認を優先して唐突に動いてしまうのだろう。

辺野古はもっと難しいだろうが,入試改革についても,ここまで来てしまった事業を止めることから利益を得る政治家や役人はいないだろうから,彼らを動かすことは難しい。

一方,今回の件で,(教育改善のための大学入試改革なので,当事者感が薄れがちではあるが,それでも),万一誤った入学者選抜をすると,その責任を負うのは各大学なので,国立大学協会がギリギリのところで慎重さを取り戻すことは,まだ期待できる。

昨年6月14日付の意見書(http://www.janu.jp/news/files/20170614-wnew-teigen.pdf)や11月10日の総会後に発表された会長談話(http://www.janu.jp/news/files/20171110-wnew-nyushi2.pdf)を読めば,国大協が問題の在り処を明確に把握していることは明らかである。「意見書」で文科省に求めた情報提供がないにもかかわらず,「認定試験を一般選抜 の全受験生に課す」と総会で決定したのは,運営費交付金等に絡めて文科省に締めつけられることを恐れてのことであろう。しかし,文科省に対する情報提供の要請は「会長談話(以下抜粋)」に引き継がれている。

「さらなる詳細が示されるべき課題とは、英語の認定試験については、認定の基準及びその方法、学習指導要領との整合性、受験機会の公平性担保、受験生の経済的負担軽減等の具体的方法、異なる認定試験の結果を公平に評価するための対照の方法などであり… 」

「残念ながら6月に指摘した諸課題については未だ十分な詳細が示されているとは言えない。

しかしながら、改革の実施までに残された期間は短く、各大学及び受験生の準備や心構えを考慮すると、基本方針については早急に示す必要があることから、このたび策定・公表したものである。

文部科学省においては、上述の国立大学協会が指摘した諸課題について早急に検討を行い、可及的速やかに詳細を明らかにするよう要請するものである。

なお、国立大学協会としては、その内容を精査した上で、英語の認定試験及び 記述式試験の具体的な活用方法について、本年度中を目途に、国立大学共通のガイドラインを作成することを予定している。」

ここで,国大協が妥協すれば,結局は,国立競技場の時のように,おかしなことが起こり始めてからしか,抜本的な見直しや修正がなされないことになる。2020年度を前に,そういうことが起こらないようにするための検証がほとんど行われていないだけに,国大協の「要請」が再び蔑ろにされることのないよう,文科省にも国大協自体にも望みたい。

「大学入試英語成績提供システム」への参加申込が7団体24種のテストからあったそうだが,その複雑さに制度の危うさが隠れてしまう感がある。

クリックしてabm.phpにアクセス

もちろん,それを意図して作られたわけではないだろうが,テストの運営が混乱・破綻すれば業者の落ち度になり,選抜方法に起因する問題は各大学のせいになるようにできている。妥当性・信頼性・機密性などテストの根幹にかかわる問題に加えて,個人情報の扱いも危ういし,システム参加要件の審査を申請団体の自己申告に基いて行うなんて茶番としか言えない。

ここまで来たら,どんな馬鹿げたことも起こりうることを前提に対応を考えるしかない。年間の延べ受験者数さえ予想できない状況の中,不必要な時限を切って,必要な検証を怠ったまま,民間試験導入事業がデマゴーグの口車に乗せられて,前へ前へと推し進められている。「少々問題があっても何もしないよりマシ」「英語教育改革の最後の砦」などという言葉を,日頃は信頼を寄せる同業者から聞くようになると,これは入試改革のインパール作戦かと問いたくなる。

 

 

「入試へのスピーキングテスト導入」賛成派としての反対

外国語教育の目的は多様だが,「使えるようになること」だけについて言うなら,対象言語を用いて意味をやり取りすること(言語を本来の用途で使うこと)を通してしか,その能力を育むことはできない。習得を推し進めるのは主にインプット(読んだり,聴いたりすること)だが,アウトプットも重要な役割を果たす。言語形式(文法や語彙等)を明示的に教えることにもそれなり効果はあるが,十分なインプット・アウトプットがあることが前提となる。

このような第2言語習得のメカニズムの大筋(あくまでも大筋ではあるが)は,1960年代後半から今日に至るまでの第2言語習得研究によってほぼ証明されたと言ってよい。これらの研究は,主に口頭のコミュニケーション能力の習得を対象とするものだが,読み書きの能力が口頭のコミュニケーション能力と根本的に異なるメカニズムで習得されるというような証拠はない。

今でも日本では,「読み書きさえやっておけば,必要になった時に話せるようになる」などと,逸話めいた根拠に基づくガラパゴス的な主張を耳にすることがあるが,日本語話者だけに独特の習得メカニズムがあるとは考えられない。

また,明示的に習うことから得た言語形式に関する知識の一部を読み書きに使えるとしても,その知識がそうやすやすと即時的な口頭のコミュニケーションに使えるように自動化するなら,英語教員の英語を使う力が足りないというような問題は起きないはずである。

その他にも,「自分は明示的な文法説明(理解)がないと外国語を学ぶ気にならない」等,(子供はもちろん,大人にも逆の傾向の人はいるので)individual differencesとして扱われるべき要因を,普遍的な習得メカニズムと混同して論じる向きもある。

さらに,日本では英語を使う機会が少ないことや,授業時間が限られていることなどを根拠に「読み書き重視」を主張する研究者もいるが,どのような学習環境であろうと,もし習得(使えるようになること)を目標とするのなら,動かしがたい習得メカニズムを前提に,そのプロセスを促していくしかない。

言いかえれば,外国語の教育や教師の役割は,狭義の教える(知識を授ける)ことではなく,習得メカニズムを促す環境を整えることである。これにはマクロ・ミクロレベルでいろいろな方法があるが,根本的には,従来の「教える」「わからせる」といった発想をやめて,「使う」(特に「読んで」「聞く」)ことや「育む」ことに重点をシフトする必要がある。

最もミクロレベルの例を挙げるとすれば:

(1) Tom (go) to Japan last year to see his uncle.
[“go”を適切な形に]

などと,文法や語彙を陳列するために言語を用いるのをやめて,

(2) Tom went to Japan last year to see his uncle.
[When did Tom go to Japan? What did he do there?]

と問えば,意味伝達のために言語を使うことになる。

さらに,
(3) Have you been abroad? When? What did you do there?

と学習者自身について問えば,より深い意味へのengagementが生まれるかもしれない。

このように,文法(上の場合は,現在完了や過去形など)や語彙を意味伝達のために用いることが最も重要であり,その過程で和訳するか否か,辞書を用いるか否か,英語で教えるか否かなどは,副次的な問題にすぎない。

「英語の授業は英語で」という方針は,同様の指導理念に基づくものと思われるが,あまりにも突飛で教育現場の現実を踏まえていない。そのため,教室では,(2)(3)のような言語運用が起こらない(習得に資する認知プロセスが生じない)「口頭のコミュニケーション活動」に貴重な授業時間が浪費されるようになってしまった。その一方で,根本的には,上記(1)的な言語へのアプローチに取り憑かれた状況はまったく変わっていない。

このようなどっちつがずの状況が,上述のような上滑りの不毛な論争を呼び起こす結果にもなった。

「それほどスピーキングが重要なら,入試に採用されるか否かにかかわらず教えらているはずだが,なぜそうではないのか?」と問われたことがある。そもそも,スピーキング(広く言えば,言語を使う能力)は,外から教えられるものではない。さらに,今の日本の教育現場には,(重要とわかっていても)使う能力を育む力が備わってはいない。

すなわち,「大学入試にスピーキングがないから,スピーキング能力が育たない」などというのは,100%の濡れ衣である。逆に言えば,入試にスピーキングを導入したところで,教育現場における言語へのアプローチが根本的に変わらない限り,生徒たちの英語運用能力が画期的に伸びることは期待できない。

そういう意味で,ここ10年あまりの間に,小池生夫先生や吉田研作先生が文科省に入り込んで,勢力的に取り組まれても達成できなかったことを,もしかしたら達成できるかもしれない最後の切り札が「入試へのスピーキングテスト導入」ということなのだろう。

つまり,今回の入試改革の目的は,公正・公平に入学者選抜を行うことではなく,入試を変えることで教育を変えることである。教育の現場で育むことのできない能力を入試で問うことによって教育を変えるという本末転倒の荒業(禁じ手)が今まさに使われようとしているのだ。

「民間試験のスコア対照表が愚の極みである」とか,「CEFRのレベル分けでは入学者選抜ができない」といったテストの根幹にかかわる指摘にも,文科省を含む導入推進派がびくともしないのはそのせいであろう。

ここに来て,推進派に慎重さを促すことができるのは,テストの運営過程できわめて大きな破綻が起こる可能性があるという事実を突きつけることだけかもしれない。50万人以上の受験者のうちの100人程度がリスニングの再開テストを受けたことに毎年大騒ぎする(好ましいとは思われない)土壌を利用することになるが,SGU予算や科研費の配分を受けて,実際にスピーキングテストの開発・運営をしてきた者の役割をその面で果たしていきたい。

今回の件,スピーキングテストの入試導入自体に反対する方と,私のようにできる限りの慎重さを求めながらも導入には賛成である者の違いは,やはり,英語教育に関する根本的な考え方の違いによるもののように思われる。

私は,タオルと加計学園で知名度急上昇中の愛媛県今治市の出身だが,しまなみ街道(尾道とつながる高速道)に外国人のサイクリストが増えて,駅前の自転車屋の店主やスーパー銭湯の店員が英語ができなくて困っていると聞く。先日はテレビで,築地のマグロの仲買人がイタリアに売り込みに行ったというニュースを見たが,日本側の通訳がイタリア人の問屋と英語で交渉していた。

上述のような意味のやり取りを重視した指導法の下で高校まで英語を習っても,そういう人たちがあまり困らないようになる程度にしか成果は望めないかもしれない。しかし,もし日本の学習環境の限界なら,それに甘んじるしかないし,むしろ,そういう能力の育成こそが,公教育が担うべき役割であろう。極言するなら,日本経済が破綻して労働者として海外に渡る時にも,戦争が起こって難民として国外に逃れる際にも,ものを言うのは英語による基本的なコミュニケーション能力である。そういう力こそ公教育が保証すべきものであろう。

最近は高卒の社員が海外の工場等に派遣されるケースも増えてきたが,たとえば,高等教育に必要な読み書きの力や「グローバル人材に求められる発信力」といったローカルなコンテクストで必要とされる能力は,このような基本の上に積み上げられるべきものである。

ここ数年,勤務大学や地域の高校で実際にスピーキングテストを開発・運営してきたが,テストにそれなりの威力があることは否定できない。生徒・学生の英語運用能力が伸びてきたことを数値で示すこともできる。また,教員や生徒・学生が少しずつ変わってきているという手応えもある。しかし,だからといって,公正性や公平性を欠く入試がまかり通ってよいはずはない。建設的な提案をしていきたい。

 

 

民間テスト利用のオルタナティブ

京都工芸繊維大学では,SGU予算等の支援を受けて,コンピュータ方式の英語スピーキングテストを開発し,2014年度より学内で定期的に実施している。これは,大学および大学院入試への英語スピーキングテスト導入の実現可能性の検証も兼ねた試みである。

私は,その実績に基づいて,「共通テスト(英語)」のスピーキングとライティングについては,以下のような解決策が実現可能な中で最善ではないかと考えている。

(a) 大学入試センターがテストスペック(テストの仕様)策定と,可能なら作問までを担当し,テストの運営は実績のあるテスト業者に委託する。

(b) もし予算等の面で問題があるなら,既に多くの大学が個別試験で課しているライティングを後回しにして(個別試験へのさらなる導入を推し進めながら),まずはスピーキングテストを(a)のような形で導入し,状況を見ながら,ライティングを含む他の3技能のテストを同様の形で実施することを検討する。

信頼性,安定性,機密性の担保,費用対効果等の点で,最も運営が難しいのはスピーキングテストである。ライティングテストにはコンピュータの設定等の面で特有の難しさはあるが,スピーキングテストほどの手間や費用はかからない。

上記(a)(b)のような折衷的・段階的な方法をとれば,大学入試を民間テストに丸投げしなくても,4技能の測定は可能である。コスト面でも,民間テストより受験料を抑えられる可能性は十分にある。「民間テストありき」の発想をやめて,関連分野の研究者やテストの専門家の知恵を集めれば,さらに良い方法が見つかるかもしれない。

先日,国立大学協会が一般選抜の受験生に一律に,従来のマークシート式テストと民間テストの両方を課す方針を固めたことが報道された。しかし,まだ引き返すことができるところにいるはずだ。各国立大学のトップに立つ研究者の集まりである。科学的正当性を踏まえ,社会への影響に配慮したwell-informedな判断をしていただきたい。

「共通テスト」によって合理的な入学者選抜をするためには,以下の2点が必要不可欠である。その両方を手放すのでは,英語4技能の測定と引き換えに犠牲にするものが大きすぎる。

  • テストの一本化
  • 国(文科省,大学入試センター等)の管理下での実施

「テストの一本化」が不可欠であることは,10/24/2017付の投稿で述べた。異なる複数のテストの成績を対応づけて,受験者の能力を順位づけたり,特定のスコアを出願資格としたりすることには科学的正当性が乏しい。テストの研究者であれば,このことに異論を唱える人はいないだろう。

「腕立て伏せができる回数」「50m走の速さ」「立ち幅跳びができる長さ」は,それぞれに「体力」の一端を表し,それなりの相関もあるだろう。だからといって,これらの指標を対応づけて,そのうちの一つのテストしか受けていない人の「体力」を順位づけることはできない。

足切り法,加点法のどちらを用いるにしても,合理的な順位づけをするためには,テストで何を測るか(たとえば,「体力」,「英語運用能力」といった概念)を明確に定義し,統一する必要がある。そのためには,英語教育やテストの研究者,現場の教員などが参画して,科学的とされる方法で単一のテストを開発することが必要不可欠である。

文科省に作られた「英語の資格・検定試験とCEFRとの対応関係に関する作業部会」は本年9月に活動を始めたばかりのようだが,これからこの「対応づけ」の作業に入るのだろうか? そのような試みに科学的正当性が乏しいのは上述のとおりだが,万一,最初の4年間に国立大学を受験する生徒のスコアをより緻密な対応づけのため利用するというような計画があるとすれば(無いと信じたいが),最初の4年間に用いられるスコア対応表は「実験的」なものであり,「もしかしたら誤っているかもしれない」対応関係に基いて入学者選抜が行われることを意味する。

膨大な手間と費用をかけて,科学的根拠の乏しい対応づけを試みるなら,その手間と費用をテストの一本化に向けるべきである。

今後は,「国(文科省,大学入試センター等)の管理下での実施」が不可欠であることを,京都工芸繊維大学でのスピーキングテスト開発・運営の実績に基いて論じていきたい。

民間テストスコア対照表の欠陥(2)

私の勤める京都工芸繊維大学では,毎年度の入学者全員にTOEIC(L&R) のIPテスト(団体受験)を課している。その結果を,テスト業者が発表した情報によるCEFRとの対照表(以下「対照表」)のTOEIC(L&R)に関する情報とつきあわせると以下のような結果が得られる。

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入学者(合格者)に関するデータであることを考慮しても,最低基準点方式を用いて,A2あるいはB1以上を出願資格とすることが,入学者選抜の意味を持たないことは推測できる。たとえば,B1以上を出願資格とした場合,現在入学している者のほとんどが「不合格」となり,A2以上としたのでは,入学者の能力を識別すること自体が難しくなる。つまり,CEFRとの対応づけでは,ここを選抜したいという層の受験者を選抜することができない。

だからといって,A2や B1をより細分化したレベルを設けて,他のテストのスコアと対応させることには,テストの本質にかかわる大きな問題があることは,先回のブログで述べた。

すなわち,この「対照表」に基づくかぎり,各レベル(たとえばA2やB1)の中間あたりを合否基準とするような合理的な入学者選抜はできない。それどころか,CEFRという大まかな指標に基づく成績情報を他のテストの成績と合わせて大学入試に用いるように求めることは,実際に入試選抜に関わる者を当惑させ,新テスト全体の信頼性や実行可能性に疑念を抱かせることにつながりかねない。

民間テストスコア対照表の欠陥(1)

国立大学協会が,2020年度からの4年間,一般選抜の受験生に従来のマークシート式テスト(大学入試センター作成)と民間テストの両方を課す方針を固めたことが報道された。

(日経10/13)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22215350T11C17A0MM0000/

受験機会の公平性を担保するために,センターが認定したすべての民間テストを対象とすることを前提として,テスト結果を出願資格の基準として用いるか,点数化してマークシート式テストの得点に加算するかが検討されているそうだ。

いずれに落ち着くにしても,テスト業者が発表した情報に基づくCEFRと各民間テストの対照表(以下「対照表」)が得点利用の基準として無批判に受け入れられていることには驚くしかない。

(英語4技能資格・検定試験懇談会が運営する「4技能試験情報サイト」より)
http://4skills.jp/qualification/comparison_cefr.html

これについて,名古屋大学名誉教授の野口裕之氏はテスト理論研究の見地から,「対照表」が誤って捉えられていることを指摘している。

(日経10/9)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21826250T01C17A0CK8000/

ひと言で言えば,異なるテストを用いて正当な順位づけはできないということだ。

たとえば,各教科のテスト得点に基づいて,勉強のできる度合いを下図のようにレベル分けしたとしても,国語の「1728-2400」と社会の「690-959」を同じ能力を表す指標と見なすことはできない。

※レベルと得点は「対照表」のままで,英語テストを科目名に変えたもの

「英語運用能力」というような実体があるわけではない。各テストが測るのは,それぞれが独自に構成した概念である。測定する概念が異なる場合,尺度間のスコア比較は意味を持たない。

国立大学がこぞってこのような誤りを犯すことはないと信じたい。

CEFRの光と影
この問題については,そもそもCEFR自体が完全無欠の指標ではないということを忘れてはならない。欧州の外国語教育専門家の知識と経験を結集したものであることは間違いない。しかし一方では,(1)言語使用・言語能力・言語発達を単純化しすぎている,(2)第2言語発達の現実を反映していない(実証的な根拠が乏しい),(3)下位レベルの識別が不十分である,(4)descriptor(各レベルの説明文)が曖昧であるなど,様々な欠陥が指摘されている。

2001年に発表されてからの15年あまりで,CEFRがこれほど広く用いられるようになったのは,上述のような欠陥を,多様な言語の習熟度や多様なテストの難易度を共通の指標で表せるという便利さ(言い換えれば,教育や商業的なニーズ)が上回ったからであり,CEFRが完璧な指標であるからではない。

そもそも参照枠(Common European Framework of Reference for Languages)として作られたものを「参照」以上の用途に使うとすれば,使う側に問題がある。

Descriptorの解釈は恣意的
以下の例ように,CEFRのdescriptorはきわめて曖昧だ(下線は著者)。各テスト業者がCEFRと自社テストの関連性を検証する際に,これらのdescriptorをまったく同じに解釈したとは考え難い。

– Can understand and use familiar everyday expressions and very basic phrases aimed at the satisfaction of needs of a concrete type. (A1)
– Can understand sentences and frequently used expressions related to areas of most immediate relevance (e.g. very basic personal and family information, shopping, local geography, employment). (A2)
– Can understand the main points of clear standard input on familiar matters regularly encountered in work, school, leisure, etc. (B1)
– Can understand the main ideas of complex text on both concrete and abstract topics, including technical discussions in their field of specialization. (B2)
– Can understand a wide range of demanding, longer clauses, and recognize implicit meaning (C1)

4技能の偏りが考慮されていない
上述のCEFRの欠陥とも関連するが,「対照表」は個々の学習者の4技能がバランスよく発達することを前提としている。しかし,現実には4技能の発達に偏りのある学習者も少なくない。

私の勤める京都工芸繊維大学では,独自に開発したCBTのスピーキングテスト(https://kitspeakee.wordpress.com)を学内で定期実施している。これは,CEFRのA2,B1レベルを対象に問題や評定尺度をデザインしたテストであるが,たとえば初年度(2015年1月)に実施したテストを受けた1年次生551名の81%が,100点満点で50点から69点のスコアゾーンに属していた。スコアデータは正規分布に従っていたが,採点者が受けた印象も,上下に突出した一部を除く回答のほとんどが同様のレベルであるというものであった。一方,毎年ほぼ同じ時期に同じ学生群が受験するTOEIC(リスニングとスピーキング)のIP(団体受験)では,同テスト団体がA2,B1とするレベルのスコア分布はほぼ平坦である。このようなデータを前にすると,4技能の平衡上達を前提とする「対照表」の確からしさに疑いを持たざるを得ない。

能力の偏りは,受けてきた教育に起因する部分が大きい。ならば,2020年度の入試改革当初から,4技能の得点を同等に扱うかどうか(たとえば,スピーキングを他の技能と同等に扱うか)を検討することには大きな意味がある。しかし,民間テストを用いて「対照表」を基準にするとなると,そのような考察や工夫をする余地はない。

関連性の検証方法
CEFRと民間テストとの関連性が,各テスト業者の言うままに信じられ,文科省による検証はまったく行われていない。関連付けには,「自社作成のCan-doリストとの比較(英検)」,「CEFR マニュアルのStandard Settingに基づいて関連付け(GTEC CBT)」,「Can-do アンケートによるCEFRとの比較(TEAP)」Basket法(英検),Modified Angoff法(TOEFL iBT,TOEIC)など,様々な手法を用いたことを各テスト業者が公表している。しかし,これらの方法にどれほどの科学的正当性があり,どれほど緻密かつ正確に検証が行われたかを文科省は確認していない。

このような対応付けは,すでにテスト理論の研究者から様々な方法が提案され,実際のテストで「目安」として使われてきた。しかし,すべての国立大学の入学者選抜の基準となるスコアを返すとすれば,どの民間テストも同じ対応付けの方法を用いることが必要ではないだろうか。

テスト業者の言うなりの情報をつなぎ合わせた「対照表」を基準にして,国立大学の入学者選抜が行われることがあってはならない。

対応付けの難しさ
京都工芸繊維大学では,独自に開発したCBTのスピーキングテストを学内で定期実施している。たとえば,来る12月16日(土)には,1年次生全員(約600名)がこのテストを受けることになっている。学内のコンピュータ演習室の収容人数の関係で,一度に全員が受験することはできない。そのため,毎回,複数のバージョンのテストを用意して,複数の受験機会を設けることで対応している。各受験者はそのうちの一つのバージョンを受けることになるが,それとは別に,全バージョンのテストを受ける「モニター受験者」(アルバイトの2~4年次生約100名)を設定し,問題の難易度や評価の辛さを複数バージョン間で揃えるための手がかりとしている。このようなモニター受験者による「等化」を行うためには,少なくとも正規受験者の1割から2割が必要であるというのが,等化を担当している研究開発メンバーの意見である。

このスピーキングテストの得点は,1年次後期の必修科目「Interactive English B」の成績に10%分だけ加味される。バージョンが異なるとは言え,同じスペックのテストを用い,1科目の成績の10%分になるテストの結果についてでさえ,対応付けにはこれだけの手間をかけている。大学の入学者選抜に複数のテストを用いるなら,さらに慎重な対応付けが必要であろう。

国立大学協会は学術的根拠に基づく判断を!
これは巧妙に仕組まれた罠のようにも思われる。各民間テストや「対照表」に関して,文科省が提供している情報は,すべて,民間テスト業者が発表したものである。一方,それぞれの民間テスト業者は,自社のテストに関する情報しか発表していない。国立大学がこれらの情報をつなぎ合わせた「対照表」を拠り所に入試を実施した結果,きわめて大きな問題を招くことになったとても,文科省もテスト業者も直接の責任を問われることはない。大学には,入試を実施する主体として,また,研究者の集団として,文科省の圧力に屈することなく,「対照表」の本質を見抜いたwell-informedな判断をしていただきたい。

「民間テストありき」

「加計ありき」で進められたと言われる獣医学部新設の手続き。同じことが,英語の大学入試改革でも起こっている。「民間テストありき」でことが進められ,文科省主導で行うべき施策の実効性に関する検討や検証が行われていない。テスト研究や英語教育の専門家から上がる反対意見は無かったかのように捨て置かれ,結論ありきで2020年度に向けた準備が場当たり的でありながら,きわめて強引に推し進められている。

今回の英語入試改革は,センター試験が民間テストに替わるだけのものではない。センター試験は,初等・中等教育を修了した後にしか受けられないテストであり,小・中・高等学校の英語教育への直接的な影響は良い意味でも悪い意味でも,ある程度限定されている。一方,民間テストは受験料さえ払えばいつでも(たとえば,小学生や中学生のうちから)受けられる。この違いが,民間テスト導入後の小・中・高等学校の英語教育にどのような影響を与えるのか,日常の指導や評価がどう変わり,生徒や教員はどう感じ,家庭では何が起こり,受験産業はどう動くのか,このような制度設計上の基本さえ,まったく検討されていない。

「4技能でありさえすれば,どのようなテストをどう導入しようと今よりはマシ」と信じ込まれているようだが,テストの波及効果はそれほど単純なものではない。

外国語でコミュニケーションすることの楽しさや異文化への興味・関心などを度外視して(そういうものに気づかせるための努力を放棄して),小・中・高等学校がGTECや英検などの予備校と化す姿は想像するだけでおぞましい。学習指導要領を告示し,教科書を検定する文科省には,施策導入の前に,そうはならないことを検証をする責任があるはずだ。

大学入試において3技能ではなく,スピーキングも含めた4技能の評価を行うのが望ましいことは言うまでもない。しかし,だからといって,国の英語教育をまるごと民間のテスト業者に差し出すことはない。運営の難しいスピーキングテストだけを国の管理下で民間に委託する(たとえば,大学入試センターがテストスペックの策定や作問を担い,テストの運営は実績のある業者に任せる)とか,第3セクター方式で運営するといったことも考えられる。そうすれば,学習指導要領を踏まえた出題もできるし,外部からは見えないスピーキングテストの特性や受験者の実態を見極めながら,大学の入学者選抜にふさわしい得点算入の仕方を考え出すこともできる。

ここに至るまで,そのような選択肢がいっさい検討されていないことが,今回の英語入試改革が「民間テストありき」で進められていることの証と言える。

私が勤める大学の図書館には,数百万円分の役に立たなくなったTOEICの参考書が山積みされている。2016年に出題形式が変わったために,新形式の問題に対応した参考書を新たに買い揃えることが必要になったのだ。2020年度からは,これと同じことが,小・中・高等学校でも起こるのではないか,この国の英語教育がテスト業者の手のひらで転がされるようになるのではないかと,心配は尽きない。

テスト業者の能力や職業規範を疑うわけではない。しかし,費用対効果を優先せざるをえない団体であるかぎり,彼らのパフォーマンスに日本における英語教育・学習の評価をまるごと託すわけにはいかない。たとえば,自社テストの受験者数を伸ばすために内部で得点調整をすることが許されるような環境での大学入試導入は,大学や受験生にとってはもちろん,テスト業者にとっても望ましいことではない。「せめて査察制度を!」と叫び続ける声も文科省には届かない。

一度,大失敗をしないと分からないのなら,その失敗を見届けてやろうと思い始めていた。しかし,民間テストの利用に消極的であった国立大学協会までもが文科省の圧力に屈して方針を転じたと聞くと,科研費やSGU予算の支援を受けて,5年も前からこの問題に取り組んできた者としての責任を果たさなければと思う。

テストの妥当性や信頼性,テスト運営のセキュリティーやリスクマネジメント,複数のテストの相関,情報の透明性など,「改革」にあたって検討すべきことが検討されていないことを,実践を通して得た具体的なデータを基に訴えていくのが,国のお金でスピーキングテストを開発・運営してきた私たちの役割だろう。暴露記事的にならないように気をつけながら,スピーキングテストの裏側や受験生の実態についての情報を発信していきたい。

11月の国立大学協会の総会で,2020年度からすべての国立大学で,大学入試センターが作成するマークシート式のテストと,民間テストの両方を受験生に課すことが正式決定するそうだ。

弱小だけど,お上にものの言いにくい世相だけれど,やせがまんして,もうちょっと頑張ろう!

危機感を共有する皆さん,そろそろ結集しませんか。

大学入試への英語スピーキングテスト導入は,教育の改善と併行して段階的に!

外国語のスピーキング能力は使うことによってしか育ちません。「使う」とは,言語の本来の目的である「意味」「メッセージ」をやりとりすることです。教室内でも同じで,文法指導など「教える」ことの効果は限定的です。

多くの高校の先生方が英検準1級を目指している現状で,TOEFLやIELTSで高得点をとれる生徒を育てることはできません。 TEAPやGTEC CBTとて,スピーキングセクションで高得点をとれる生徒を公教育を通じて育てることはきわめて困難と言わざるをえません。

2020年度に向けた英語の大学入試改革は,このような現実を直視することなく,楽天を筆頭とする財界やテスト業者と連携する先生方(実際のテスト開発や運営には深く関わっておられないのではないでしょうか)の主導で進められています。

また,外国語の教育や習得に関する背景知識のない文科省の行政官は,「少ない予算で4技能のテストが導入できればが何でも良し」という構えのようにさえ思われます。(私たちが開発しているスピーキングテストのことで何度か問い合わせがありましたが,失礼ながら,そのような印象を受けました。)

万一,外部(民間)テストの入試利用が本格化すれば(たとえば,国公立大学の一般入試などで利用されるようになれば),得をするのはテスト業者,および,英語教育に力を入れる私立の中学・高校,塾・予備校・英会話学校・ホームステイ企画会社などと,そこにお金を払う余裕のある家庭の子供たちです。

一方,一般的な中学・高校の教育で育てることのできない能力を大学入試で問えば,経済的に恵まれない家庭の子供たちが高学歴を得るチャンス(ひいては社会の流動性)が奪われることになりかねません。

一部のエリートを育てるために,全体が犠牲になる可能性はしばしば指摘されますが,今回の英語の大学入試改革がその傾向に拍車をかけることが危惧されます。

私は,入試へのスピーキングテスト導入を支持する側の者です。だからこそ,その準備をコツコツと進めてきました。そして今,その実績に基いて,「大学入試への英語スピーキングテスト導入は,教育の改善と併行して,段階的に行うべきだ」と声を上げたいと思います。

従来どおりなら,各大学は2017年度中に,2020年度の入試の概要を公表することになります。もし外部テストを利用するなら,自学のアドミッションポリシーや社会的な影響などを考えて,採用するテストやスコアの利用方法を慎重に検討しなければなりません。横並び志向で軽率な判断をすれば,「法科大学院の失敗」の二の舞いを演じることにもなりかねません。

そのためには,各大学の判断の材料となる情報が必要です。しかし,これまでのところ,文科省からそのような情報提供はありません。文科省内に設けられた「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」に参加するテスト業者が,「適正かつ包括的な英語4技能試験の内容・レベル・活用事例等の情報提供を行う」ことを目標に,「英語4技能試験情報サイト」を運営していますが,このサイトには,先行的な導入事例やインタビューなど外部テストの利用をイメージで煽る情報ばかりで,各大学が主体的な判断をするための拠り所となるようなデータはほとんどありません。むしろ,このサイト自体が今回の大学入試改革が短絡的であることを象徴しているようにさえ思われます。

最近では,テスト業者やテスト業者の下で働く研究者の方々から,準備不足を不安視する声が聞こえてくるようになりました。スピーキングテストの運営は費用対効果がきわめて低く,だからこそTOEFLやTOEICでも,スピーキングセクションの導入が他の技能に比べて大幅に遅れました。

スピーキングテストの裏側は,他の技能のテストにも増して,運営の安定性や機密性,受験環境の公平性,評定基準の妥当性,採点の信頼性など,危うい要素で溢れています。これらの点において,日本の大学入試については,どこを最低ラインとして外部テストに求めるのか。これまでに,そのような議論は一切なされていません。50万人を超える受験者の受け皿になる(その結果,巨大な利権を得る)側の方が不安になるほど,ずさんな制度設計の下で,英語の大学入試改革が行われようとしているのです。

現状のままで2020年度に突き進んだのでは,ポジティブな波及効果よりネガティブな波及効果の方が大きいことも考えられます。上述のような社会に及ぼす負の波及効果だけではありません。教員がスピーキングの指導に慣れていなければ,安直なテスト対策として,発音指導や発話中の文法的誤りを減らす訓練などに力が入ってしまうことでしょう。それでは,生徒のスピーキング能力向上を望むことはできず,スピーキングテストの入試導入に寄せられる期待そのものが裏切られることになりかねません。

そのような可能性をまったく検証することなく,英語の大学入試の一大改革が行われようとしているのです。テストのポジティブな波及効果に安直な期待を寄せるばかりで,教育が追いついていないことの弊害には思慮が及んでいないのです。

今こそ,舵を切り替えるべき時ではないでしょうか。ここまで待ったのですから,たとえ,あと数年遅れるとしても,周到な検証や準備をしてから,中→高→大,定期テスト→入試と段階的にスピーキングテストの導入を進めるべきです。

また,大学の教職員は(特に英語教育に携わる者は),今こそ,入試を運営する主体として,その社会的な責任を認識し,2020年度に向けてそれぞれの大学の入試について真剣に考えるべきだと思います。自分の仕事の負担の増減や来るべき嵐を凌ぐことばかりを心配していると,日本の英語教育がとんでもない方向に向かってしまうかもしれません。

英語スピーキングテストの入試導入は段階的に!

2020年度の英語の大学入試改革について書いたコラム「定期テストから入試へ:高・大をつなぐスピーキングテスト開発の現場から」が,大修館書店「英語教育」2016年12月号(36頁)に掲載されました。スピーキングテストを開発・運営した実績に基づく提案です。(以下抜粋)

「テストというだけで権威とみなしてはいけない。話す能力に点数をつけることの危うさを前提として,外部テストの品質検証や得点利用の方法が今後,慎重かつ公正に検討されることを願いたい」

「入試にスピーキングテストを導入すれば,合格者の入れ替わりが必然的に起こる。それを肯定できる教育ができているか。現行の教育では十分に育たない能力を入試で試してよいのか」

「教育を変えるために入試を変えるのは,そもそも本末転倒である。時期とのかね合いもあるが,中→高→大,定期テスト→入試と段階的にスピーキングテストを導入する道もあるはずだ」

このままでは,ずさんな制度設計の下,無謀な大学入試へのスピーキングテスト導入が行われることになりかねません。現実に即した方向変換が必要だと思います。

7月4日,京都市立京都工学院高校フロンティア理数科の「英語表現 I」の学期末考査で,生徒とインタビュアーをスカイプで結ぶ対面方式の英語スピーキングテストを実施しました

京都工芸繊維大学では,学部・大学院入試への英語スピーキングテスト導入に向けて,2012年10月に学際的プロジェクトチームを編成し,以下のようにプロジェクトを進めてきました。

2013年4月 テストスペック(テストの設計図)策定に向けた調査研究開始
2014年7月 株式会社イー・コミュニケーションズとの共同研究により,
CBT(Computer-based test)方式の受験システムとオンライン方式の
採点システム開発
2015年1月 第1回CBTスピーキングテスト実施(1年次生全員を含む約600名が受験)
以後,学内で定期実施することを決定
6月 株式会社QQ Englishと音声回答の採点の信頼性向上に向けた共同研究開始
12月 第2回CBTスピーキングテスト実施(1年次生全員を含む約650名が受験)
英語のネイティブスピーカー(日本の大学教員)と併行して,QQ Englishの
セブITパーク校に勤務するフィリピン人英語教員が採点にあたる。
2016年1月 2018年度学部AO入試,2019年度大学院推薦入試への導入に向けた
ワーキンググループ設置

このような取り組みの過程で,入試導入に向けた課題として,以下の3点が浮かび上がりました。

(1)受験環境の公平性担保
これは,外部テストについてもしばしば指摘される問題ですが,各受験者が,同時に受験する他の受験者の回答音声に注意をそがれたり,他の受験者の回答内容からヒントを得たりすることのない受験環境を確保しなければ,入試に求められる公平性が担保できません。
(2)受験生の準備
ほとんどの学生がスピーキングテストというものを受けたことがないため,入試でスピーキングテストを受けることに対する不安や心的抵抗が予想以上に大きいことが分かりました。また,「リンガフランカとしての英語」に関する学生の意識向上が遅れているため,“正確な(ネイティブにより近い)”発音や文法を使うことに注意が向いてしまうことも少なくないようです。
(3)教員の準備
スピーキング指導に慣れない教員がテスト対策に力を入れると,比較的取り組みやすい発音や文法の指導に焦点が絞られる可能性がありますが,それでは入試導入に寄せられる期待に添う波及効果を得ることができません。

これらの問題を解決するために,科学研究費基盤研究(B)「入学試験や定期考査に利用できる英語スピーキングテストシステム構築のための指針策定」(課題番号16H03448, 2016年〜2018)の助成を受けて,新たな取り組みを始めました。なかでも,(2)(3)の問題解決のモデルケースとして,京都工繊大を中心とする研究者チーム,京都工学院高校の英語科とICT管理部,フィリピンを拠点にスカイプ英会話レッスンを提供するQQ Englishの三者が連携して,京都工学院高校の「英語表現 I」の学期末考査のスピーキングセクションを企画・運営することになりました。

リーディングやライティングと同じように,スピーキングについても,「日常的な指導→学習成果を測る定期的なテスト」を繰り返すサイクルの延長線上に入試が来るのが理想です。その理想に少しでも近づくべく,合計得点の半分を科目の学習達成度測定にあて,残りの半分を「リンガフランカとしての英語」のスピーキング能力測定に配点できるように,テストの内容や評定尺度を工夫しました。各学生の能力の伸びを確認するために,後者は得点の標準化を試みる予定です。

PCモニターを挟む対面式のスピーキングテストですが,テスト当日,京都工学院高校の生徒さんたちは緊張しながらも,モニターに映るインタビュアー(QQ English フィリピン・セブITパーク校勤務)とのインタラクションに積極的に取り組み,たびたび笑い声も上がっていました。その様子を見ていると,今後このような取り組みが軌道に乗り,中学・高校段階で,生徒のレベルやニーズに合わせて企画したスピーキングテストを比較的簡単に定期実施できるようになると,日本人全体の英語運用能力の画期的な伸びにつながるかもしれないという手応えがありました。

詳しくは,プロジェクトのウィブサイトをご覧ください。

https://kitspeakee.wordpress.com

大学入試への外部試験利用,このまま進んで大丈夫?

京都工芸繊維大学独自のCBT(computer-based test)方式英語スピーキングテスト,KIT Speaking Test: English for the 21st Centuryを開発し,1回目の大規模テスト(2015年1月20-22日670名受験)を実施した経験に基いて考えました。

利潤追求を一義的目標とするテスト業者にすべてを任せて大丈夫か? テストの機密性保持が情報隠蔽の隠れ蓑になりはしないか? 入試に求められる公平性は担保できるか? 大学入学希望者学力評価テストが実施される2020年度までに,受験者数に足る数の質の高い採点者を養成できるか? 心理面も含めて,生徒の受験準備は整うか? 準備をサポートする態勢は整うか? 望まれる波及効果は得られるか? 指導が行き届いていないので,生徒間にスピーキング能力の差は開いていない。その能力をリーディング能力等と同じに扱って入学者選抜をすることに弊害はないのか? そもそも,教育を変えてからテストを変えるべきところを,テストを変えることによって教育を変えようとすることに弊害はないのか?

実際にスピーキングテストを開発・実施し,そこから得たデータ(受験者・採点者対象アンケートへの回答,回答音声データ,得点データ等)の分析を進めるにつれ,このまま文部科学省のシナリオどおりに2020年度の大学入試改革に突入して大丈夫なのだろうかという懸念が強くなります。数年後に迫っているのに,その時にどのようなことが起こるのかを具体的にイメージすることも容易ではありません。上述のような懸念に関して,信頼に足る検証も行われていません。雪崩のような大変革に巻き込まれるかどうか,各大学は入学者選抜をする当事者として,中等教育への影響にも配慮しながら,きわめて慎重な判断をしなければなりません。

その判断の参考になるような情報を少しでも発信できればと思っています。2015年12月に,約750名を対象として実施した第2回大規模テストの検証結果も近いうちに公表する予定です。

※以下は「CBT英語スピーキングテストの開発と実施:入試への導入に向けた試みの検証」京都工芸繊維大学情報科学センター広報誌,pp.30-48,2016より抜粋

4.2 民間テストの入試活用に関する示唆

今回,CBT方式の英語スピーキングテストを開発実施したことを通して,大学入試への民間テスト活用に関する具体的な問題点が見えてきた。日本人の英語習得が進まないのは,大学入試が「読む」「書く」の2技能に偏っているからだとする見方はかねてより根強い。2000年代に入ってからは,グローバル人材育成や海外に向けた発信力強化が財界などから求められるようになり,文科省は4技能を測定する民間テストの入試活用を一層強く推し進めている。

その一方で,民間テスト活用の問題点も多方面から指摘されている。民間テストの多くが学習指導要領に準拠していないことに関する問題提起もその一つである。TOEFLはアメリカやカナダの高等教育機関への入学希望者の英語能力判定を主な目的としており,TOEICはビジネス英語に主眼を置くテストである。これらの民間テストを大学入試に用いると,学習指導要領が形骸化し,高校の英語教育が民間テストのスコアを指標とする試験対策に陥るという懸念である。さらに踏み込んで,各大学が異なる民間テストを利用すると,高校での試験対策が難しくなるという声も聞かれる。

民間テストの入試活用が経済格差を助長するという問題も指摘されている。民間テストの実施会場は都市部に集中し,各都道府県に会場がないテストもある。また,2万5千円を越えるTOEFLやIELTS21)を筆頭に,受験料も安くない。都会の経済的に豊かな家庭の出身者だけが多様なテストを何度も受けられることから,入学者選抜における機会均等が損なわれることが懸念されている。

このような指摘を尻目に,民間テストの入試利用に向けた文科省の圧力はさらに強まり,2015年3月には,「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する行動指針」(以下,「行動指針」)が各大学の長に通知された。4技能を測るという国の方針が,入試作成の手間やコストを削減できるという大学側の都合と合致することもあり,2016年度以降は民間テスト利用の波が広がることが新聞等で予想されている。私立大学を中心に,民間テストをどう使えば,大学のグローバル人材育成に資する英語力の高い入学者を獲得できるかを検討する動きも出てきている。

こうして,センター試験に取って代わる「大学入学希望者学力評価テスト」から英語を除外することは,国の明確な判断を待たずに既成事実化しつつあり,政府後援の特需にテスト関連業界は盛り上がっている。

しかし,文科省のシナリオではテスト業者が請け負うことになっているスピーキングテストの開発運営を実際にやってみた立場からすると,査察制度を設けずに,大学の入学者選抜を民間テストに丸投げすることには,大きな危険が伴うと言わざるをえない。

まず第一に,公正を期すべき入試に本来求められる透明性を,民間テストにどれだけ求められるかが疑問である。たとえば,本学で行った第1回スピーキングテストでは,延べ670名の受験者のうち3名については,全9問の回答音声すべてを回収することができなかった。加えて3名については,9問のうち1問分の回答音声を回収することができなかった。原因ははっきりしないが22),テスト業界の内情に詳しい筋によれば,同様の問題はCBTテスト全般にしばしば起こるとのことである。

今回のテストでは,回答音声を各学生のZドライブに一旦保存した後,複数の中継フォルダを経由して回収した。また,万一に備えてUSBメモリにもバックアップを作成した。これにより,回答音声の回収漏れが生じた場合には,各学生のドライブ,中継フォルダ,USBメモリにデータの有無を確認しにいくことができた。推測の域を出ないが,民間のスピーキングテストでもこのように厳密な手順を踏んでいるとは考えにくい。そのためか,通常のスピーキングテストでは,回答音声の回収漏れに加えて,受験者とのヒモ付けができない音声データも一定数出るとのことである。

その他にも,スピーキングテストを実施する過程では,大小の事故や技術的な問題が必然的に発生する。今回,私たちは回答音声の回収漏れについて,受験者に率直に詫び,再受験を促した。また,本プロジェクトの意義の一つと考え,テストの実施や採点に関わる不利な情報もありのまま公表している。

しかし同じことを,利益追求のための熾烈な競争を強いられる民間テストに求めることには無理がある。テストの機密性保持は,情報隠蔽の隠れ蓑にもなりうる。情報公開が難しいならなおさら,非公開のままで,テスト実施の内部に踏み込む第三者機関の査察が必要であろう。

そもそも,文科省が発表した民間テスト利用促進のための「行動指針」が,民間テストの主催団体を軸に組織された「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」によって作られたことに問題がある。利権の絡む判断に,権益を得る団体を巻き込んでよいはずがない。そのためか,「連絡協議会」から出される意見や提言には,具体性や現実性を欠くものが多い。

たとえば,「行動指針」は,大学が各テストの「妥当性,信頼性等に留意して具体的な活用方法等を明らかにする」ことを求めている。そして,テスト業者には,各大学がこれらを検討するにあたり必要な情報を「明示することに努める」よう求めている。しかし現実には,テスト業者が自らに不利な情報を公表するとは考え難い。宣伝のための謳い文句に近い情報を基に,各大学が入学者選抜に関わる重要な判断をするような事態は,是非とも避けたい。

さらに,採点者の質や数について考えると,センター入試に代わる役割を民間テストに担わせることの実現可能性さえ疑わしくなる。本学の実績からも明らかなように,スピーキングテストの採点は骨の折れる難しい作業であり,高度の熟練や並ならぬ忍耐力が必要である。2015年度には約53万人がセンター試験を受験した。少子化に伴う減少が見込まれるとは言え,何十万人単位の大学入学希望者が複数回スピーキングテストを受ける態勢を2020年度までに整えられるとは考え難い。業者任せにしたままで,受験者数に足る数の質の高い採点者を養成できるとは考えられないのである。

「行動指針」に基づく行動を各大学が実際にとり始めると,テスト関連業者には壮大なビジネスチャンスがもたらされる。しかし,そもそも開発や実施が技術的に難しく,費用対効果が悪いからこそ,他技能に比べてスピーキングテストの普及が遅れているのである23)。そのスピーキングテストの品質管理を,採算を重視せざるをえない民間テストに丸投げしたままで,英語の大学入試改革を完遂できるとは考え難い。

テストの波及効果についても不安が残る。今回本学では,意図する波及効果を得るためにテストをデザインし,その効果を最大にするための準備に力を注いだ。実際の成果はまだ明らかではないが,民間テストをこのように利用することは難しい。そもそも各民間テスト,特に日本のマーケットに向けて開発された後発の民間テスト24)については,波及効果に関する十分な調査研究が行われていない。財界を中心に,入試へのスピーキングテスト導入の波及効果に期待が集まっているが,実際にどのような効果が得られるかは,上述の「連絡協議会」をはじめ文科省内に設けられた各種の会合でも検討された形跡がない。

合理的な根拠のないまま,入試への民間テスト活用が国民の英語能力向上に向けた万能薬のように扱われているが,副作用がないとは限らない。受験生の準備が整う前にスピーキングテストが導入されることの影響は特に心配である。今回,本学で行ったスピーキングテストには,大学院入試への導入に向けた実証実験という側面もあった。その結果,学生の準備が十分でないことが分かったので,まずは普段のスピーキング指導をより充実させ,学部教育の一環としてスピーキングテストを一定期間実施した後に,大学院入試への導入を図ることが適切と判断した。

万一,ある程度の準備が整う前に,多くの高校生が大学入試の一環として,自分の能力にそぐわない民間テストを受けることになれば,スピーキング能力が飛躍的に伸びるどころか,英語を使うことへの意欲や関心の減退にもつながりかねない。たとえば,一般的な高校生がTOEFLのスピーキングテストを受けるのは,小学生が国語の大学入試を受けるのとあまり変わらない。受験後に「お手上げ感」が残るだけで,次の受験に向けて何をどう頑張ればよいかを実感できないようでは,テストに肯定的な波及効果を期待することはできない。

さらに,これらのテストの識別性能についても疑問は拭えない。今回,本学が開発したスピーキングテストを受験した1年次生551名の81%が,100点満点で50点から69点のスコアゾーンに属していた。スコアデータは正規分布に従っていたが,採点者が受けた印象も,上下に突出した一部を除く回答のほとんどが同様のレベル25)であるというものであった。CEFRのA2,B1レベルを対象に問題や評定尺度をデザインしたテストにおいてでさえ,このような結果が出るのである。普段の教育を通して受験生の準備が整う前に,入学者選抜にスピーキングテストを含めると,適切な選考が行われない可能性もある。

「テスト」というだけで無批判に「権威」と見なす傾向はもともと強いが,入学試験となればなおさらである。しかし,現在,大学が入試への活用を求められているのは,作成・実施・採点などの実態に踏み込んだ査察の行われていない,営利目的のテストである。各大学は社会を覆っている空気が安全かどうかを慎重に検討してから,入試改革に踏み出すべきであろう。

「大学入試への英語スピーキング・テスト導入プロジェクト」の進捗状況を発表

8月29日に鹿児島大学で開催された第54回大学英語教育学会(JACET)国際大会において,京都工芸繊維大学のチームが研究発表をしました。本年1月に1年次生全員を対象として実施したコンピュータベースのスピーキングテストを検証するとともに,その経験から得た知見に基いて,3月に文部科学省より発表された「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する行動指針行動指針」について考察しました。その時の発表原稿,スライド,配布資料をプロジェクトのウェブサイトにアップロードしました。今後は他の学校・大学の先生方とも連携し,生徒・学生の発信力向上むけて地道に研究を続けていきたいと思います。是非,お声かけください。

「この活動に賛同しません」様へ

(メールを頂いたアドレスに返信しましたが,すでにアカウントが閉鎖されているらしく,戻ってきてしまいました。不本意ですが,どうしても読んで頂きたいので,個人ブログに返信をアップロードさせていただきます。)

「安保法制に反対する京都工芸繊維大学有志の会」の呼びかけ人の一人である羽藤由美と申します。有志の会としては,なりすましや匿名のメッセージには対応しないことになっていますので,本メールは有志の会からの連絡ではなく,羽藤個人からのものとご理解頂けますようお願いいたします。

私は,頂いたメッセージは保護者の方からのものではなく,学生本人からものではないかと思っています。万一間違っていたら,お詫びのしようもありませんが,もし学生からのものであるなら,たとえ匿名のメールであっても,教員として誠実にお答えしたいと思いました。心情をお察しいただけますと幸いです。

チラシ配布が試験期間にあたることについて,私は何らの配慮もしませんでした。昼休みに正門前や学食前で不特定の教員からビラを渡された学生が,「有志の会に賛同しないと単位が出ないと脅されている」と感じたり,おびえたりするかもしれないということを想像だにしませんでした。真実がどうであったかは,各学生に聞いてみなければわかりませんが,配慮しなかったということは,翻せば,ご指摘のように脅したり圧力をかけたりする意図はまったくなかったということです。それどころか,たとえば,タイトルも「賛同を呼びかけます」とするなど,文面を推敲する段階でも,押し付けにならないように,出来る限り気をつけたつもりでした。また,チラシを渡す際にも,「賛成でも反対でもいいのでとにかく読んで考えてみてください」と繰り返しお願いしました。もし試験期間には,学生がそれほど神経質になっているとすれば,配慮不足であったことを深くお詫びします。

「政治活動は大学で行ってよいのか」「大学の許可は取れているのか」という点についてですが,「憲法を守れ」と当たり前のことを訴えるのが政治活動にあたるかどうかも,それこそ解釈次第ですが,私は事前に職員就業規則等を確認し,問題なしと判断しました。今回の件で,大学当局への告発等があったとしても大丈夫と確信していますが,もし必要になれば大学が判断することでしょう。

たとえ処分されようと,私にとって最も重要なのは,自らの良心に従って,目の前の学生たちが戦争に巻き込まれないようにすることです。 安倍内閣のやり方で(今回の安保法制のもとで)集団的自衛権を行使すれば,目の前のあるいは将来の若者が戦争に巻き込まれることになりかねません。そう思いながら声をあげないことに耐えられず,私は有志の会の呼びかけ人になりました。

「集団的自衛権」については色々な考え方があります。生身の人間が(たとえば自分が)武器を持って殺し合うことを前提にして,戦後70年間越えずに来た一線を今越えるべきかを国民全体が真剣に考えなければなりません。そして,必要なら正当な改憲の手続きを踏んで,前に進むべきです。それが民主主義ではありませんか。

どうか,ネットにあふれるあやふやな情報や短絡な意見をうのみにせず,自らが調べ,学び,考えてください。そして,匿名ではなく正々堂々と,貴方の意見を表明してください。若者に真正面から論破されることほど,老いぼれにとって嬉しいことはありません。

下記サイトの「各大学の取り組み一覧」のページにもあるように,現在,同じの趣旨の有志の会が全国の大学で続々と立ち上げられています。

http://anti-security-related-bill.jp

専門分野や主義主張の異なる数多くの研究者たちが一つの方向に向かって,これほど真剣に力を合わせたことがかつてあったでしょうか。私たちの国は今,それほど大きな岐路に立っています。真の意味で政治に関心を持ち,しっかり勉強し,真剣に考えてみてください。そんなに簡単に答えが出るはずはないと思うのです。「とりま廃案!」と高校生たちが叫んでいるそうですが,まさしくそのとおりだと思います。時間をかけてゆっくり考え,話し合いましょう。

羽藤 由美

反省をこめて…

一昨日,昨日と,「政治集会」と呼べるものに久しぶりに参加した。

こういうことは,こういう人たちが,こういうやり方でしかできないものなのか。ならば,やはりもう坂道を転がり始めているのかもしれない。そういう恐ろしさに突き動かされた。

投票だけで意思表示をしてきた30年あまりの反省を込めて,声をあげよう。

三木谷氏へのプロポーズを前に

日本の大学入試に導入する英語スピーキングテストのプロトタイプになりうるものを京都工繊大のプロジェクトチームで作ってみようということになったのが本年3月末。その際,私はTOEFL・TOEICを開発したアメリカのETSに,問題スペックを共同開発してくれるよう,知人を介して依頼した。昨日の投稿の最後の部分と重なるが,その時のETSの回答は以下のとおり。

  1. 同様の要請が世界中の大学や団体から来ている。
  2. しかし,ETSとしてはTOEFLやTOEICより良いテストを開発することは難しい。
  3.  また,結果としてTOEFLやTOEICと競合することになりうるテストの開発はできない。
  4. したがって,既に開発されていて,新たな開発コストのかからないTOEFLあるいはTOEICの利用を勧めたい。
  5.  仮に新たなテストを開発するとしても,開発費が膨大になり,一大学だけではとても採算が取れないであろう。

ETSは自己修正のきかない奢りの世界に突入しているようだが,アメリカをそういう気分にさせるのがグローバリズムなのだろう。ETSに財布の中身を見透かされた私は,IELTSやFCEを開発したイギリスのCambridge Assessmentにも言い寄る可能性を探ってみた。しかし,金のない者はやはり相手にされないとのこと。

TOEFLを受ける前には,問題や受験に関する一切を口外しないという趣旨の宣誓書を筆記体で書き写し,署名させられる。宣誓書の内容の日本語説明もなければ,写しももらえない。それどころが,ブロック体で書いたら,やり直させらたという受験者さえいる。なんという傲慢! グローバルスタンダード(つまり英語)でやっているテストなので仕方ないと言うのなら,グローバリゼーションとは人権蹂躙のことかと問いたくなる,のはいつものこと。(別の見方をすれば,単に,他の選択肢がないことの弊害とも言えるが。)

とにかく,私はここで引き返した。その後,この馬鹿馬鹿しいほど売り手優位な構図の中に,買い手として国ごと身を投じるという案が浮上して驚いた。あれは参議院選に向けて政治家が揚げたアドバルーン,客寄せパンダだったのだろうか。

目立ちたがり屋の政治家は選挙が終わった途端に忘れたかもしれないが,きっと三木谷さんは諦めていない。その三木谷さんにこそ「日本に拠点を置くExpanding Circle型Assessment Agency設立」のスポンサーになっていただきたい。

そのためにも設立趣旨をしっかりと書かなくてはと思うのだが時間がない。

今週中には必ず!

日本に拠点を置くExpanding Circle型 Assessment Agency設立の提案: まずは背景から

9月24日付投稿で,LET,JASELE,JACETの「京都アピール」に示された大学入試改革案のオルタナティブとして三つの提案をしました。今日は,それに続く四つ目の提案をしようと思います。Expanding Circleの学習者に特化したテスト開発やコンサルティングサービスの提供ができるアセスメントエージェンシーを産学連携で日本に設立するという提案です。関連分野の研究者がそのアセスメントエージェンシーを通して「国」に政策提言をし,必要な圧力をかけていくことを考えています。「京都アピール」では,国が主導する大学入試制度改革に三学会が協力することが提案されていますが,それとは逆の発想の提案と言えるかもしれません。10月3日には,教育再生実行会議が検討している大学入試改革の原案が新聞等で報じられましたが,その対案(研究者として取りうる方策の一例)にもなりうるかと思います。(原案自体が今後どう修正され,どのような効力を持つかも今のところ不透明ですが。)

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京都工芸繊維大学の教員有志が「大学入試への英語スピーキングテスト導入プロジェクト」に取り組み始めたのは,昨年の10月でした。私はそれから半年後の本年4月には,以下のようなプレゼン資料と提案書を持って,連携してくれる企業を探すようになっていました。

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今年8月末の大学英語教育学会(JACET)年次国際大会では,プロジェクト開始から連携企業を探すようになった頃までの実践報告として,「大学入試への英語スピーキングテスト導入の可能性をさぐる」という題目の研究発表をしました。発表の後の質疑応答の手応えは悪くなかったのですが,ご出席くださった方の一人が「他の学会なら取るに足らない内容。政策提言が出てきた途端に怪しいと感じた」という趣旨のツイートをされているのを後で目にしました。

私たちの研究グループには「測定・評価」を専門とする者がいません(これから勉強していかなければなりません)ので,その分野の方から見れば,物足りない部分があったかと思います。しかし,ここに挙げている一連の提案は,私たちが大学入試へのスピーキングテスト導入に向けて直近の問題を解決していく中で考えたものであり(地べたに足がへばり付いた提案であり),けっして怪しいものではありません。同じ誤解を招かないよう,今回は,日本に拠点を置く Expanding  Circle 型のAssessment Agencyを産学連携で設立することを提案するに至った(提案書を持って複数の企業にアプローチするようになった)経緯から先に述べておこうと思います。

ちなみに,「大学入試への英語スピーキングテスト導入プロジェクト」は,部分的に「平成 25 年 科学研究費助成事業 基盤研究(c)」の助成を受けていますが,その研究目的は「京都工芸繊維大学の教員有志が入試へのスピーキングテスト導入に向けた調査研究をする過程で,どのような障害をどう乗り越え,どのような問題が未解決のまま残ったかを克明に記録し,一つのケーススタディとして報告する」ことです。最終的にスピーキングテストの導入が叶おうと叶うまいと,とにかく動き出し,目標に向かう過程で起こったことや考えたことを公表することに大きな意義があると考えました。このブログも同じ意図で書いています。

さて本題に戻ります。9月24日付の投稿でも述べたように,「大学入試への英語スピーキングテスト導入プロジェクト」は,教員の日常的な負担を過度に増やすことなく,バランスのとれた第二言語発達を学生に保証したいという,きわめて内発的な動機で取り掛かったものです。学部の入試だけでなく,全学生の70%以上が進学する大学院の入試も視野に入れています。とはいえ,中等教育への波及効果や社会的影響も考え,できれば,今年度より新学習指導要領の下で学び始めた高校一年生が受験期に達する2016年度の個別入試に,部分的にでもスピーキングテストを導入したいと思っていました。

当初,このプロジェクトは,現在の研究グループのうち英語教員とアドミッションセンターの教員だけで進めるつもりでいました。それは,全学に先駆けたパイロット的な取組として,受験生が100名程度の課程を選んで,その課程の個別試験に対面式のスピーキングテストを導入することを考えていたからです。対面式のインタビューテストなら,学内での日常的な実施実績があります。ですから,そのテストの妥当性や信頼性を検証した上で必要な改善を行い,多人数に対応できる態勢を整えることが,目的達成に向けた最も容易な方法であろうと考えました。

しかし,その計画は入口で躓きました。私は当初,入試に求められる公平性や機密性を保ちながら,限られた人員と教室スペースを用いて,1~2日でテストを終えるという難題を,下のスライドのような方法で解決することを考えていました。

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このように,対面式で,面接者および面接者と評定者を兼ねる者の2名が同じ問題を終始担当することにして,各受験生に Question 1→Question 2→Question 3と問題が変わる毎に部屋を移動してもらえば,評定者間の信頼性を心配する必要はありません。また,一問に5分かかるとしても,この方法なら1日に100名程度の受験生に対応できます。

しかし,この方法については,英語の”ネイティブ・スピーカー”の教員全員(3名)から強い反対意見が上がりました。「人間をベルトコンベアーに乗せて流れ作業をするようなインタビューテストなら導入しない方がましだ」「100人を相手に1日じゅう同じことをしゃべるような非人間的なことを自分はできない」という正当な意見に,私はテストの「実用性」を重視するあまり,受験生(および面接者)のコミュニケーターとしての人格を否定しまうところであったと,大いに反省しました。

英語の”ネイティブ・スピーカー”の教員は下の図のように,受験生同士が対等な立場でデスカッションやディベートをする方式にすべきだと強く主張しました。

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一方,私を含むノンネイティブ教員は,それでは公正性・公平性の維持が難しくなると考えました。しかし,「だから日本人は公平や平等という概念に取り付かれていると言われるのだ! 現行のリーディングやライティングのテストがどこまで公正・公平なのだ?」という,彼(女)たちの的を突いた反語疑問に,返す言葉はありませんでした。いずれにしても,一人の面接者が1日に何人の受験生のスピーキング能力を正確に測ることができるかを考えると,現在のような一斉実施の入試に対面式スピーキングテストを導入するという案は,現実的でないと判断せざるをえませんでした。

このように,「大学入試への英語スピーキングテスト導入プロジェクト」は,最も重要な「何を測るか」という問題を検討し始める前に,「どう測るか」で行き詰まりました。

その間に私たちは,民間業者が提供しているスピーキングテストについて,各テストが測定しようとする能力・問題開発機関・テスト実施機関・受験料・実施会場・本人確認の方法・テスト実施方法・問題構成・採点方法・採点基準などを,ウェブサイト等から徹底的に調べました。具体的には,PCやインターネットを利用したTOEFL iBT,TOEIC SW,GTEC,PTE Academic,OPIcや,対面方式の英検,IELTS,FCE,電話を用いたVersant,TSST等ですが,このうちほとんどの業者について,先方の来学または当方の訪問により,さらに詳細な話を伺い,デモ受験もしました。

また,iBTを採用したTEAPのスピーキングテストについては,比較教育学を専門とし,韓国の教育行政に詳しいアドミッションセンターの教員が実際に韓国に出向いて,開発の進捗状況や実施上の問題点を調査してきてくれました。

さらには,プロジェクトチームのメンバー自身が,業者が行うスピーキングテストをできるだけ多く受験するとともに,京都工繊大と京大から協力学生を募り,彼(女)たちにも色々なスピーキングテストを受験してもらいました。そして受験のたびに,「大学入試に使えるか(使えないとすればどこが問題か)」という観点から各テストを評価する報告書(下のフォーム)に,受験者目線の情報や感想を書き込んでもらいました。

ブログ

これらの活動を通して,徐々に分かってきたのは,受験者から見ると,必ずしも対面式のスピーキングテストの方がCBTやiBTに比べて,「本当の実力が出せた」という満足感や「公平に測られた」という安心感が大きいわけではないということです。また,IELTSのように比較的長い時間をかけた対面式テストでさえ,所詮テストはテストであり,面接者にコントロールされた会話の中で,受験者は求められた情報を提供することに終始し,双方向のコミュニケーションを進める能力が測られるわけではありません。また,共感・反感・同情等の人間らしい感情を伴うコミュニケーションも当然のことながら起こりません(起こったとしても見せかけです)。そのせいか,対面式より機械相手の方がリラックスできたと答える受験生さえいました。

一方,CBTやiBTのスピーキングテストにも,色々な問題があり改善の余地が大きいことが分かりました(そのこともあって,Expanding Circleに特化したテスト開発の必要性を認識するようになったのですが,それについては後日記します)。とにかく,これら諸々のことが,当初考えていた対面式のスピーキングテストからiBTあるいはCBTに「転向」することを,自らに正当化する材料になりました。

CBTかiBTの導入を考えることになった時点で,そのシステム構築に向けた研究開発の技術的な部分を担ってくれるスタッフを京都工繊大の中で探しました。「学問的なやりがいはほとんど感じない」などと率直なことを言いながらも,研究担当の副学長を含む6名のスタッフがプロジェクトの社会的意義と学内的な必要性を理解し,機器開発グループに加わってくれました。

その後,連携協力グループ研究アドバイザーのNic Underhill氏も加えて,プロジェクトチーム全員が連携して行った最初の仕事は,「理想のスピーキングテスト」の像をチャート化することです。少し見えにくいかもしれませんが,以下に出来上がったチャートを示します。

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これは機器開発グループのリーダーの依頼を受けて(彼の指導の下で)行った作業ですが,実現の可能性は度外視して,最終的にどうありたいかを可視化することにより,真の願望および問題の核とその原因や解決手段の間の論理的一貫性をメンバーで確認し,共有することになりました。下位概念が上位概念の前提となっており,たとえば「全国の大学入試,高校入試,模擬テスト,定期テスト等でスピーキングテストが容易に実施できる」ためには,どのような条件が整っていることが前提となるかというように「理想」を段階的にブレークダウンしていきました。その前提の一つが上の図では青字で示されている「京都工繊大での実施実績がある」ということであり,その前提となるもの明らかにするために,さらに次のチャートを作りました。

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私は,知覚情報処理や知能ロボテックを専門とし,英語教育や言語テストには馴染みがないであろう機器開発グループのリーダーに「TOEFLでもTOEICでも良いから,まずは受けてみて欲しい」とお願いしたことがあります。すると彼は「一度受けてしまったら,そのシステムを改善することしか考えられなくなる」と固辞しました。私はその後,これらの理想図を作る作業をしてみて初めて,彼が何を言おうしていたかが分かりました。まずは「理想」から出発し,その上で現実との妥協を考えなければ,新しいものは作れないということだと思います。学際的研究(異分野交流)から得るものは大きいとあらためて感じた経験でした。

このように私たちは「全国の大学入試でスピーキングテストが行われるようになること」を究極の理想とし,そのプロトタイプとして,2016年度の京都工繊大の入試にスピーキングテストを導入することを想定しました。そして,そのためにどのような問題を解決すべきかを考え始めました。そこで浮かび上がった大きな課題の一つが,「大学等の試験実施機関および社会から信頼されるスピーキングテストのシステムが構築されている」ことであり,さらに,その前提条件の一つが「試験実施機関の要求に応えられるだけ多様な問題スペックおよび問題のストックがある」ことであると,私たちは考えました。

このような考察に基づき,私は信頼できる知人を介して,TOEFLやTOEICを開発しているアメリカのETSにアプローチし,日本の大学入試に導入するためのスピーキングテストの問題スペックを京都工繊大と共同開発してほしいと申し込みました。その頃は,「何を測るか」は日本側(問題開発グループ)が研究し,それを「どう測るか」についてはETSの技術を利用したい,また,そのテストを日本の大学入試の条件に合う形で運営するための機器やシステムは日本側(機器開発グループ)が開発する,というような大雑把なイメージを持っていました。

しかし,ETSから返ってきた答えは以下のとおりでした。

  1. 同様の要請が世界中の大学や団体から来ている。
  2. しかし,ETSとしてはTOEICやTOEFLより良いテストを開発することは難しい。
  3. また,結果としてTOEICやTOEFLの競合になり得るようなテストの開発はできない。
  4. したがって,既に開発されていて,新たな開発コストのかからないTOEICあるいはTOEFLの利用を勧めたい。
  5. 仮に新たなテストを開発するとしても,開発費が膨大になり,一大学だけではとても採算が取れないであろう。

私の知人はETSの幹部に,「羽藤さんは真剣に日本の大学入試を見直し,英語教育を改善したいと考えている。そのために,まずは自身の大学の入試を見直し,その効果を検証したいと思っている。その予算を文科省に要求すること(概算要求のこと)を予定しているので,早急にテスト開発にかかるコストの概算が欲しい」と頼んでくれたそうです。

ETS側は,「それならば,羽藤さんから直接オフィシャルな要請を送ってほしい」と言ってくれたそうで,ETSの担当部署のディレクターのメールアドレスを頂きました。

しかし,その時点で私は節操もなく,IELTSやFCEを開発実施しているイギリスのCambridge Assessmentにもあたってみたいとを考え,同組織の幹部として働いている友人に,ETSと同じ打診をしてみてくれるように頼みました。しかし,Cambridge Assessmentからの回答もETSからのものとあまり変わらず,採算がとれる確証となるデータを示せというものでした。

私たちはこのような海外に向けた働きかけと併行して,地元の高校の先生方や企業の研修担当の方々の話を聞き,「何を測るべきか」についても考えました。そうこうしているうちに,私は「輸入テスト」に限界を感じるようになり,国産の(というよりはExpanding Circleに特化した)テストを開発するために,ETSやCambridge Assessmentに負けないAssessment Agencyを日本に作るべきだと考えるようになりました。

その切っ掛けと提案の具体的な内容(「何を測るべきか」に関する考察)については,明日以降にしようと思います。物語を語る側がこれほど疲れるのですから,ここまで読んでくださる方は少ないかもしれません。読んでくださった方に感謝します。

情と認知のワーク・ライフバランス

八十歳を過ぎた四国の両親が同時に入院。一人っ子の私が右往左往する間に,今度は高一の一人娘が風邪をこじらせ肺炎で入院。遠距離の病院を行き来しながら,「日本の大学入試のあり方」や明日の授業のことを考える。Work-Life Balanceとは,時間だけでなく,情や認知のバランスの問題でもあると実感。

誰もが通る道を,親も子も少しは余裕を持てる歳になってから通れる幸運に感謝。

LET, JASELE, JACETによる「京都アピール」のオルタナティブとしての提案の4番目「日本に拠点を置くExpanding Circle型のAssessment Agencyを設立する」ことについては,(話せば長くなるので)明日以降に。

主体的に考える入試のあり方

LET, JASELE, JACETの「京都アピール」について一言言いたくなって,ブログを始めました。1日留守にして帰ってみると,思った以上にたくさんの方が覗いてくださったようでほっとしました。

大学や大学のスタッフが当事者として,主体的に大学入試のあり方について考える切っ掛けになればと思っています。野心的(あるいはナイーブ?)すぎかもしれませんが。

各大学がスタッフの知見を結集して真剣に考えることによってしか,入試制度や入試問題に必要なものは見えてこないと思います。そのうえで,万一,多くの大学が共通の基盤として求めるものがあれば,その能力や適性を測るテストを共同で開発するのが,大学入試の本来のあり方ではないでしょうか。

財界に煽られたり政府に主導権をとられたりしたくないのなら,外圧に先行して,大学(つまりは各大学のスタッフ)が主体的に入試(制度)の改善を進めるべきだと思います。

そのような本分に専念するためにも,一般の大学教員は中等教育の学習到達度テストの作成から手を引いた方が良いのではないか,というのが昨日のブログで一番言いたかったことです。

明日は南丹市の園部高校で出前授業。英語使用拡大の現状(各分野における超中心性や地域・社会的多様性),その裏に隠れがちな弊害(格差・差別,言語消滅・文化の均質化),そこに至った歴史,「国際語」として英語を学ぶ心構えや他の言語を学ぶことの重要性などについて,地元の中学生・高校生と一緒に考える活動をしています。そのこともいずれブログに書きたいと思っていますが,まずは「大学入試改革のオルタナティブ」の最後の提案を今週中にアップロードするつもりです。

大学入試改革のオルタナティブ

2013年9月18日付で,外国語教育メディア学会 (LET)・全国英語教育学会 (JASELE)・大学英語教育学会(JACET)が,「教育再生実行会議で提案された大学入試制度(英語)の改革案について」という見出しの共同声明(「京都アピール」)を発表した。

私はJASELEとJACETの会員である。しかし,そのことをもって「京都アピール」に異論を唱える資格を失うものではないだろう。学会の公式見解と同様に,運悪くアピール作成に向けた議論に加わることのできなかった一会員の意見を明らかにすることにも,それなりの意味はあるだろう。大学入試(特に英語の入試)の改善に関する議論では,当事者である大学や大学教員より政府や産業界がイニシアティブをとっているように思われる。本来なら,当事者(特に英語を教える大学教員)こそが,真剣かつ多角的に検討しなければならない問題である。愚見がそのような議論の引き金になること期待して,「京都アピール」に欠けているものを指摘し,いくつかのオルタナティブについて考えてみたい。

1.「京都アピール」に欠けているもの

(1)当事者意識

「京都アピール」は,「教育再生実行会議で提案された大学入試制度(英語)の改革案について」という見出しで始まる。しかし,教育再生実行会議で討議されたのは「大学入試の在り方」であり,第三次提言にも「入試制度」という表現は使われていない。また,JACET本部のウェブサイトでは,「京都アピール」が「緊急提言」としてアップロードされている。これらは,当該三学会は問題解決に向けた学問的知見を提供する協力団体であり,問題解決の責任を負ってはいないという事実を強調するために用いられた意図的な戦略だろうか。

確かに,どの学会もセンター試験や各大学の個別試験に関する発言権や決定権を持ってはいない。しかし,これらの学会に所属する多くの大学教員は(私自身も含めて),大学入試に問題があるとすれば,その問題を引き起こしている張本人であり,問題解決が必要ならば,その責任を担うべき立場にある。自らを高みに置いて,三学会がそれぞれの学問的知見をもって大学入試制度改革に「積極的に協力する」ことを提案する「京都アピール」には,そのような当事者意識が欠如しているのではないだろうか。

文部科学省は「大学入試の基本的な考え方」として,「大学がどのような選抜でどのような入学者を受け入れるかについては,各大学・学部等の入学者受入方針に基づき実施するもの」としている。また,入学志願者の能力・適性等を多面的に判定するために,選抜方法の多様化,評価尺度の多元化を推進している(第9回教育再生実行会議配布資料より)。さらに,文部科学省が大学入試実施のガイドラインとして毎年度,大学に通知している「大学入学者選抜実施要項」では,「高等学校学習指導要領(中略)に準拠し,高等学校教育の正常な発展の障害とならない」ことや,「個別学力検査を実施する教科・科目は,学習指導要領に定められている教科・科目の中から高等学校教育に及ぼす影響にも配慮しつつ(中略)定める」ことなどが求められている。

つまり,各大学の教員は,「京都アピール」の「1.前提」にあるように,「入学試験制度(英語)に改革が必要なことは認識」しているのであれば,その後に続く「2.大学入試のあり方」に挙げられた「学習指導要領の方針に基づく4技能総合型」の入試や「高等学校の教育改善や学力形成につながる波及効果をもたらす」入試,「信頼性と妥当性,公平性と実用性のバランスを兼ね備えた」入試等の実現に向けて,大学を内側から動かすことができる立場にいるはずである。私たち大学教員はその責任を負うべく真摯に努力してきたであろうか。自らの権限が及ぶ範囲で,大学入試の改善に向けて力を絞ってきたであろうか。一人あるいは少数の教員が一つの大学を内部から動かすことは容易でない場合もある。しかし,各学会に所属する多くの教員が各々の大学の中から声を上げれば,もっと早く問題解決への道筋を付けられた可能性もあるのではないだろうか。

「大学入試が変わらなければ日本の英語教育は変わらない」という認識は,古くから行き渡っている。文部科学省も「大学改革実行プラン」等で入試改革の必要性を強調している。世間や多くの中学・高校の教員から見れば,問題を放置したまま頑として動かないのは大学の側である。何らかの理念や方針に基いて動かないのなら話は別であるが,「改革が必要なことは認識」しているのであれば,自らが望ましい「大学入試のあり方」に向けて動くべきである。外に向けた「アピール」や「提言」は,その努力と併行するものでなければ説得力がない。

(2)「大学入試改革は大学教育改善のための課題である」という認識

現行の大学入試には,「各大学・学部等のアドミッション・ポリシーに基づく適性判定」と「中等教育までの学習到達度判定」という二つの側面がある。しかし,入学者選抜のために行う試験である以上,前者の役割が後者より優先するのは当然である。前述の「大学入学者選抜実施要項」にも,「各大学は,当該大学・学部等の教育理念,教育内容等に応じた入学者受入方針(アドミッション・ポリシー)を明確にするとともに,これに基づき,入学後の教育との関連を十分に踏まえた上で,入試方法の多様化,評価尺度の多元化に努める」とあるなど,入試に関して文部科学省が推進する各種の取組は,各大学・学部等が欲しい人材を選抜することを前提としているのは明らかである。

しかし,「京都アピール」には大学教育への言及がまったく無く,あたかも高校教育の改善のために大学入試制度改革が必要であり,そのために三学会が協力を申し出るという書きぶりである。しかし本当のところは,大学の英語教育改善のためにこそ,入試のあり方を改める必要があるのではないだろうか。少なくとも私自身は,自分の勤める大学の英語教育をより充実させるには入試改革が欠かせないと感じている。

私の勤める京都工芸繊維大学では,2006年度から段階的に“The Most Demanding English Program in Japan (自称:日本で一番要求度の高い英語プログラム)”の構築に取り組んでいる。

これは,学生に大量の課題やテストを与えることにより,膨大なインプット処理やTOEIC/TOEFL等に向けた集中的な受験準備等を迫る,ある意味では究極の英語プログラムである。もともと真面目な学生が多い工科系の大学であるため,「やれば伸びる」という実感がさらなるやる気につながるという正のサイクル作りがある程度成功し,最近では英語学習に年間1,000時間以上かける学生も出てきた。また,課程によっては,大学院進学希望者40名程度のうち半数以上がTOEIC 800点を超える年もある。しかし,スピーキングとライティングの能力は期待通りに伸びない。昨今,発信力の重要性が謳われるなかで,「TOEICは900を超えたけど,スピーキングは英検3級レベル」などと自嘲する学生もいれば,IELTSのスコアが,Listening 7.0, Reading 7.5, Writing 5.5, Speaking 5.0 < Total 6.0であり,Total 6.5 以上を求める英国の志望大学院への進学が叶わないというような例もある。このような問題に対応すべく,定期的にインタビューテストを実施したり,各種のトラブルを危惧しながらもSkypeを用いた有料のスピーキング練習サイトの利用を推奨したりしている。しかし,学生全般の発信能力を伸ばすことに成功しているとは言い難い。

そこで突き当たったのが,全学生の70%以上が進学する大学院の入試と学部入試の改善である。日常的に行う様々な取組には,やればやるだけの効果がある。しかし,その手間を担う教員はすでに摩耗寸前である。そうなると,よりマクロなレベルで,大学院入試と学部入試を4技能総合(または統合)型にすることが,教員にかかる負担の面で最も効率的な改善策に思われる。そこで,昨年の秋から学内の学際的なメンバーで取り組み始めたのが「大学入試へのスピーキングテスト導入プロジェクト」である。

世間では,中等教育の英語教育健全化のために,大学入試が変わらなければならないと,しばしば言われる。「京都アピール」からは,大学教員の中にもそういう意識が強いことが伺われる。しかし,高校・大学のそれぞれが「4技能の総合的育成」や「発信力強化」を目指す昨今,双方をつなぐ入試を,目指す能力を測るものに変えていくことは,中等教育と高等教育の両方に関わる課題である。

「グローバル人材育成」の陰で生じる教育の歪みや,大学入試へのTOEFL導入の問題点を指摘する声は,参議院選を前にした「TOEFL騒動」以来,ますます盛んに聞かれるようになった。このような議論に大きな意義があることは言うまでもない。しかしその一方で,大学で英語教育に携わる教員は,目の前の学生の多くが「英語を使えない」,それも「使いたいと思っているのに使えない」という現実をもっと真剣に受けとめるべきではないだろうか。そうすれば,自らが教育・研究・大学運営等の業務に追われる中で,何が最も有効で効率的な教育の改善策であるかがおのずと見えてくる。大学入試改革はあくまでも大学の問題である。

2.「京都アピール」のオルタナティブ

(1)中等教育の学習到達度判定は中等教育の管轄下で行う

大学入試センター試験であれ,各大学が行う個別学力検査であれ,大学教員が作るテストに,中等教育の学習到達度を適切に判定することを期待するのは,そもそも無理がある。センター試験の作問・点検等にあたる大学入試センター教科科目第一・二・三委員会委員でさえ,必ずしも中等教育における外国語科の目標や内容,実情等に精通した教員が選ばれているわけでない。個別学力検査にいたっては,入試に関わる仕事を「リスクが高いわりには評価の対象にならない忌むべき作業」と捉える教員さえいる中で,学習指導要領や検定教科書の確認も不十分なまま,前例や経験・申し送りだけに基いて作られることが少なくない。さらには,妥当性や信頼性を維持するためのデータ収集や分析を行っている(とされる)大学はごく限られている。このような現実を踏まえれば,実質的には学習指導要領以上に中等教育への影響が大きいとまで言われるテストを,中等教育への責任を負わない大学教員が作っていることに根本的な問題があることが浮かび上がる。

そもそも,妥当性・信頼性の高い言語テストは,該当の教育コンテクストに精通した人材に加えて,言語教育・言語習得・テスト理論・教育測定等の専門家が揃わなければ作り得ないものである。そのうえ,前節でも述べたように,多くの大学教員は日々の業務に追われる中,入試改善への関心が高いとは言えない。そういうこともあってか,中等教育の学習到達度テストはおろか大学入試問題でさえ,一般の大学教員が主体となって作っている国は,少なくとも私が調べた範囲では日本以外に見当たらない。これらを総合すれば,日本でも,一般の大学教員が妥当性・信頼性の高い中等教育の学習到達度テストを作ることを期待するのはそろそろやめた方が良いように思われる。

そういう意味では,現在教育再生実行会議で検討されている「到達度テスト」が,豊かな知識経験を持つ中学・高校の教員や関連分野を専門とする大学教員を含む専門家集団で作られるようになるのが理想かもしれない。いずれにせよ,「京都アピール」の「2.大学入試のあり方」の欄に挙げられているようなテストは,中等教育の学習到達度判定として,中等教育の管轄下で作られるべきものである。

妥当性・信頼性の高い中等教育の学習到達度テストが実施され,各大学・学部等が独自のアドミッション・ポリシーに基いて,その成績を入学者選抜に利用できるシステムが整えば,大学教員は「時間をかけた丁寧な入試」の実現や入試方法の多様化,評価尺度の多元化等に,より真剣に取り組むことができるようになる。巷では,「到達度テスト」の導入が文部科学省管轄の独立行政法人の利権拡大につながることを危惧する声も聞かれるが,大学入試センターの存続にも利権が絡むことは明らかである。それならば,まずは教育上の利益を優先し,「利権」の問題については国民が目を光らせていくしかないように思われる。

(2)民間(外部)テスト,あるいは,民間テストの技術を利用する

「京都アピール」では,「第一段階として,現行の大学入試センター試験(外国語)を4技能総合型のテスト形式へと移行させ」,「第二段階として,学習指導要領の内容と学生の英語力レベルを考慮に入れた4技能テスト(たとえば,韓国で導入された NEAT〈国家英語能力試験〉のようなもの)を国が主導して開発し,導入する」ことが提案されている。

平成25年度のセンター試験受験者は54万人あまり。万一,中等教育の学習到達度テストが実施されるようになれば,さらに多くの受験者に対応することが必要になる。センター試験を残すにしても,中等教育の学習到達度テストに移行するにしても,これだけ多くの受験者を対象に,大学の入学者選抜の資料となりうる(それだけ公正性や公平性の高い)スピーキングテストのシステムを構築するには膨大な予算が必要である。「韓国のNEATは120万人を対象としているのだからできないはずはない」と言うこともできるが,それを現在の日本の「国」に期待するのは,あまり現実的でないように思われる。また,英語学習には多様な意義や目的があることを考えれば,単一の基準(たとえば,韓国と同様の官製テスト)で全員の能力を測ることが最善であるとも一概には言えない。

中等教育にとっても高等教育にとっても,大学の入学者選抜に利用されるテストを4技能総合(あるいは統合)型にすることは急務である。リーディングとリスニングについては,センター試験におけるこれまでの実績がある。しかし,スピーキングテストと記述式のライティングテストについては,少なくとも当面は,すでに実施されていたり,開発が進んでいたりする民間テストや民間テストの技術を利用することを考えた方が現実的であるように思われる。

(3)大学・大学院の入学者選抜に利用できる民間テストの認定制度を設ける

先般,新聞報道等により,文部科学省が2015年度より中学3年生と高校3年生を対象に,新たな英語能力テストを導入することが明らかになった。そのテストにはスピーキングテストも含まれ,2013年度中にTOEFL等民間テストの実施団体や英語教育の専門家で構成する検討会議が設置されるそうである。さらに,開発途中の2014年度には,インタビュー方式の英検やCBT方式のGTEC等を試行し,民間テストの性能を検証することも報じられている。

従来より文部科学省は,大学入試への民間テスト活用推進に熱心であるが,上述のような動きを見ると,センター試験あるいは到達度テストへのスピーキングテスト導入についても,上記(2)の提案のように,まずは民間テストや民間テストの技術を利用することを考えそうである。しかし,現状の民間テストの成績を大学や大学院の入学者選抜の資料として本格的に利用することには,以下の様な問題がある。

性能の高いスピーキングテストを実施するためには,妥当性の高い問題スペックの開発に加えて,インタビュー方式なら面接者や採点者の定期的で入念な研修・訓練が必要である。さらに,CBT・IBTなら,使用機器の準備やスタジオでのビデオ収録等が必要になる。そのため,テスト業者にとって,スピーキングテストはマークシート方式のリーディングテストやリスニングテストに比べると,コストパフォーマンスがきわめて悪く,テスト市場では従来よりスピーキングテストの開発や販売促進に熱が入らない。TOEFLでさえ,元々はスピーキングテストが除外されていたために,現在の日本の大学入試と同様の悪名を長く世界に馳せていた。そのTOEFLにやっとスピーキングテストが導入されたのは,IBTが可能になった2005年のことである。

日本で実施されている主要な民間テストでさえ,スピーキングテストだけでは採算がとれないと漏れ聞いている。言いかえれば,10分〜15分といった短時間のスピーキングテストで,それに必要な経費を受験者に請求すれば,受験者数の拡大が望めず,それによって費用対効果がさらに悪くなるのである。そのため,ほとんどの民間テストでは,スピーキングテストを他の3技能あるいはライティングのテストとセットにして受験することを受験者に強いている。

このように,業者にとってコスト面で厳しい条件下で作られているからこそ,これらのスピーキングテストを大学の入学者選抜に使う際には,特別な注意が必要である。現状では,どの民間テストについても,テストの実施システムや採点システムの透明性がきわめて低い。たとえば,地域の高校や大学の教員が短時間の研修を受けただけで,アルバイトとして何年も面接者や採点者をしているようなテストもあるが,これでは公正性の面からみても,情報の機密性の面からみても,大学の入学者選抜の資料としては使い難い。今後,万一このようなテストを利用する大学が増え,受験者が増大するようなことがあれば,これまでになかったような大きな事故も起こりかねない。一方,CBTやIBTについても,採点基準,採点者の採用・研修・管理,受験者や係員の不正防止対策,受験料の妥当性等については,業者側がインターネット等で発表している,裏付けの無い情報を信じるしかない。

スピーキングテスト実施中の騒音問題はさらに深刻である。これまでは,TOEFL・TOEIC等についても「そもそもスピーキングはうるさいところでするもの」というような詭弁的な言い訳が通ってきた。しかし,リスニング能力の低い学習者は高い受験者以上に,ヘッドセットに入ってくる他の受験者の声に惑わされる。また,騒音の程度はその都度異なるので,テストの信頼性は著しく歪められている。さらには,騒音であるべき他の受験生の声をカンニングに用いることも決して不可能ではない。

これらの問題のどれも,今後,文部科学省が大学入試への民間テスト活用をさらに推し進めるのであれば,早急に解決しなければならない問題である。また,近い将来,センター試験あるいは到達度テストにスピーキングテストを導入することになれば,同じ問題の解決を迫られる。

「京都アピール」の提案は,これらの問題解決も国が主導して行うことを前提としているように思われる。しかし,先行する韓国のNEATについては,採点者の採用・採点者間の信頼性維持・騒音等の問題にぶつかっていることがしばしば報じられている。それを考慮すれば,国(あるいは大学)として,競合する民間業者を利用することによって問題を解決をすることも一考に値する。

その際に最低限必要なのは,民間テストの厳正な認証制度や定期的な査察制度を設けることであろう。大学の入学者選抜に利用されるための条件を明確にして,厳正な認証・査察制度を設ければ,条件に適う複数のテストから各大学が独自の判断で,利用するテストを選べる。そうすれば,入学者選抜における評価尺度の多元化が一気に進む可能性もある。

このような機能を持つ組織をどこにどう作るかは,これもまた利権の絡む問題であり,慎重な検討が必要である。しかし現状は,多くの国民が「無農薬」というレッテルだけを信じて高価な野菜を食べさせられているのと同じである。そのうえ,主要な民間テストはほとんどが輸入品。雨後の筍のように乱立するテスト群を「官製テスト」で封じ込めるのも一手であろうが,認証・査察制度を設け,民間テストの競争を利用することによって,英語テスト全般の信頼性を高め,評価尺度の多元化を図ることも検討に値する。

(4)日本に拠点を置くExpanding Circle型のAssessment Agencyを設立する

4番目で最後の提案は,産学が連携して,日本に拠点を置くExpanding Circle型のAssessment Agencyを設立することであるが,文章がずいぶん長くなってしまったので,後日に回すことにしたい。